僕は14角形-12
「と、まあ予定通りに。いちご、ごくろうさま」
ピンヒールを床に響かせて、姫乃がテーブルに突っ伏した詩音の背後に立つ。
「この子、腰がくびれているわね。性同一性障害かしら。それなら最高なんだけど」
「姫乃先輩、それでは約束が違います」いちごがふるふる震える声で囁く。
「草冠にそんな危ない橋は渡らせないよ。今回のはちょっとした…まあ、私の我儘だけどね。姫路のための、ささやかなレクイエムの序曲」
姫乃はそう言いつつ、詩音の頬に手を回す。
「凄いね、この肌の手触り。絹で織った人形が生きているみたいだ。いちごも触ってみたら?そうそう無い経験だよ」
「わたし、わたし」その可憐な手から小さなセルロイドの薬入れが床に落ちた。
「犯罪者になってしまいました」いちごの閉じた目から一筋の涙が流れる。
姫乃はゆっくりと机を迂回して、いちごの肩を抱く。
「ねえ?いちごは何もしていない。私から渡されたものを、たまたま詩音のグラスに落としたのを気付かなかっただけ。そうでしょ?」
いちごは背中から手を回され、破裂しそうなトマトみたいに上気している。姫乃がいちごの身体を優しく愛撫する。胸の頂点で姫乃の指が踊ると、いちごは熱い吐息を漏らして身体を姫乃に預けた。
「私のお気に入りの子猫ちゃん。私の言ったとおりにするのよ。簡単でしょ?」
最初に見えたのは、幾何学的な天井の模様だった。
明らかなエタノールの臭い。見ると、左腕に点滴が刺さっている。大したものだ。僕の血管は人並み外れて細い。ここに22Gの針を入れるのは至難の業だ。緊急の安定剤を点滴する時なんて、わざわざその道30年のベテラン看護師が呼ばれたぐらいだからな。
最後の記憶は草冠の応接室だけど、ここはまるでバウハウスのような建物で、あの洋館とは縁もゆかりもないことは明白だ。「やたら贅沢な病室」ってのが相応しい。それにやけにすーすーする。右手で確認すると、なんとまっぱだ。あちこちに絆創膏にしては随分ハイテクなものが貼り付けられている。包帯でくるまれたのなら単純な事件だけど、これはあきらかに違うな。
「なんじゃ、こりゃ」
僕の第一声は極めてシンプルなものだった。もうちょっと洒落にというか捻れないのかと自分で突っ込んでしまう。やれやれ、もう少し僕なりに成長できないかな。
僕はゆっくりと半身をベッドから起こした。特に目眩も苦痛もない。透明な点滴液は規則正しくリズムを刻んでいる。いや、そんなこと考えている問題ではないぞ。ソナー、スイープ。
部屋の向こうから靴音が近づいて、ドアを開けた。オマー・シャリフと瓜二つの、口ひげを蓄えた男で、緑衣を着ている。年の頃、40の半ばか?精力的なエネルギーを感じるが、その瞳は極端に知性的だ。まるで機械のように僕の左手の点滴を止めると、魔術のようにアルコールで湿らせたガーゼで針を抜く。そのまま凍ったように動かないと思ったら、僕の左腕には小さな絆創膏が貼られていた。そのまま布団を捲ると、手際よく僕の真っ裸の身体から奇妙なテープを剥がし、アルコールで拭き取った。
彼は僕の右手を取ると、何故か握手した。それから彫刻家のように視線を変えて僕を見つめ、ひとつ頷いて、部屋を出て行った。