スナック-2
どこも本当にちっぽけな店だった。
けれどそんな店を懸命に営んでいた人が居て、その人が養う家族たちだっていたんだろうに。
店を閉じて、みんなどこに行ってしまったんだろう。
そして今頃どこでどうしているんだろう。
そんな事ガキの頃は考えなかった。
自分が働くようになって女が出来て子供も生まれて結婚して。
必死に働いてる内に、ふとそういう事を思う様になった。
もし俺が勤めてるちっぽけな会社でも潰れたら俺も同僚もどんなに大変か分かるからだ。
商店街の店なんて今どき行かないとか必要とされないとか、そういう事じゃないんだよ。
誰かに必要とされなくても人が来なくても、そんな土地でも暮らしは続けてかなきゃいけない。
商店街っていうのは商売であると同時に各店の家族の暮らしそのものでもあるんだ。
そんな事をよく母は言ってた。
俺は反発するばかりだった。
ウチはスナックだった。
といってもウナギの寝床みたいな細くて狭いカウンターだけの店だ。
そのカウンターだって10席にも満たない。
カウンターの端っこには10円の公衆電話機が21世紀になっても置かれてた。
壁には知らない演歌歌手のポスターが何枚も貼られてたけど、もちろんカラオケなんて無い。
そんな小さな店の二階の狭い部屋が俺達の部屋でそこで俺は育った。
元々はドヤ街のアパートの一角だったらしい。
昭和の終わりごろになって町が落ちぶれだした頃にドヤ街としての機能を終えて、安アパートは取り壊されていったらしいが、どういう訳か母親がその一角を手に入れたらしい。
どういういきさつかはもう誰にも分からない。
ただ少なくともその細いスナックは母親のものだった。
その店に母は毎日立ってた。
客は常連ばかり。
といっても景気の良い連中なんかいない。
斜陽だった地元の繊維工場の労働者か近所の店の店主か年金生活者か、でなきゃ生活保護者だ。
誰であろうと金払いさえしっかりしてれば構わない。
落ちぶれた商店街の店の中でも、一応はウチは儲かる方だったんだろう。
客をノセて飲ませるのが仕事だって言って、母は自らもよく飲んだ。
褒めて飲ませるのか、わざとおちょくって飲ませるのか相手を見ながら決めてるって聞いてる。
そういう事が出来なきゃ年増のママ一人のスナックに客はそう来ないだろう。
誰が相手だろうとその場にいる全員を楽しませて金を使ってもらわなきゃいけない。
だからヤクザ相手でも上手くいなせるのが母の強みで、彼らさえ一人の客として飲ませるくらいだった。
今なら分かる。
母は強くてすごく逞しかった。
強くてすごく逞しくある「必要があった」からだ。
多分、それは俺のために。
けど、そんな事ガキの頃は考えなかった。
いや、本当は頭の片隅で分かってたんだろうけど、分かろうとしなかった。