No.2-1
ミラが驚いて私から身を放した。
「な、なに?狂ったの?」
私は含み笑いを浮かべながら彼女の問いに答えてあげた。
「あなたがあまりにも見事に私の思うツボにハマってくれたから、私は笑いのツボにハマったのよ。」
私は脱いだスカートを拾ってポケットからスマホを取り出し、ミラの顔写真を撮った。
「どうするの?そんなもの。警察にでも…」
「こうするの。」
受付にカタログをもらいに来たOLの写真を表示した。
― MATCH ―
観覧車の係員の写真。
― MATCH ―
美術館で会った女。
― MATCH ―
「写真だけじゃない。あなたはエラソーに服装だ髪型だ声だ、と言ってたけど、もうひとつ大事な要素を忘れている。」
「他に何が…。」
「例えば。」
私はミラのお腹から顔へと視線を這わせた。
「あなた今、4711オリジナル・オウ・デ・コロンを着けてるわよね。」
「そうだけど?」
「合コンで出会ったルリカとして私と会う時はいつも同じものを着けていた。」
「ええ。好きなの。つけた瞬間のフレッシュな柑橘系のトップが甘美なボディに移行し、やがてまどろむような安らぎと共に静かに沈んでいくリリース。でも、他の人物になっている時は着けていなかったわよ?」
「そう、ルリカの時だけ。あなたはね、無意識に作っていたのよ。ルリカというキャラを、香りで。」
「香り…。」
「服装、髪型、声、そして第四の要素、香り。」
「だから、ルリカ以外の時には何も着けなかったってば。」
ふ、っと笑ってやった。
「温泉の洗い場にボディソープ借りに来たでしょ?あれ、備え付けじゃなくて私のものなの。でも、そのあと別の人物として現れたルリカの体はそれの匂いがしていた。備え付けのボディソープの匂いじゃなくて、ね。」
「たまたま同じソープを使っただけかもしれないじゃない。」
「不可能。セレクトショップに勤める友人に頼み込んで、ようやく北欧のある国から取り寄せてもらった特別なものだから。国内であれを持っているのは私だけ。」
「他のセレクトショップ経由で…」
「それも不可能。一日数十本しか生産しないちっちゃな手作りメーカーと直取引して輸入してもらったの。日本には他には出荷していないことを確認したから間違いない。」
「私が使った後に置いといたのを他の誰かが…」
「すぐに回収したの。だって、大事なものだから。」
「く…。」
「詰めがなってないのよ。調子に乗ってボロを出した。」
「でも、そうするとあなた、私が怪しいと分かっててそんな所にあんな事させたってこと?」
「そ。スゴく気持ちよかったなあ。上手よね、あなた。またしてくれないかしら。」
ミラはボソっと呟いた。
「…するわけないじゃない。」
「他にも色々ツッコミどころはあるけど、もう十分でしょ。」
ミラはうなだれている。まあそうでしょうね、計画は根底からスベってたんだから。
「分かった?とっくにバレてたのよ、あなたのしていたことなんて。」
ミラが唇の端をひきつらせている。
「随分な手間暇かけてくれたわね。おかげで楽しかったわ!ご苦労様。」
「…私に転がされているのを知りながら、敢えて乗っかった、とでも言うの。」
「うーん、少し違うかな。あなたの目論見通りにありえない状況で自慰をしてしまう女をね、演じたのよ、私は。」
「演技!?全てが?」
「そう。感情移入なんていう生易しい演技じゃない。完全同一化。完璧な演技なの。一人の異常な性癖を持った女を演じきった。私自身をさえも騙し抜いて。そしてその芝居を楽しんだ観客は私ひとり。あなたはただの脇役。」
ミラは下唇を噛んで私を睨んでいる。
「勝てるとでも思ったの?そんなんだからあなたはいつまでたってもNo.2。私の背中を追いかけることしか出来ないひよっこ。」
「…私の正体も。」
「学生演劇の世界では有名人だったじゃない、二人とも。直接話したことは無かったけどね。」
ミラは俯いた。
「でも…こんなことをしたらあなた、あの会社には居られなくなるわよ。周りのビルを見なさいよ。」
ほとんどの窓に人影が揺れ、こっちを見ている。
「そうね。あなたの思惑通り。」
「だったら…」
「いいの。あんなクソみたいな会社、どうでもいいのよ。」
「え、だって知らぬ者は居ない一流ITベンチャーの…」
「あそこで働いてる若い子たちね、自分は勝ち組だ、って顔してる。バカよね。」
「どうしてよ、その通りじゃない。高収入、先進的な職場環境、社会的にも信用があって…」
「ヤツらに訊いてみればいいわ。君の周りに先輩はどのくらい居る?って。」
「なにそれ。」
「入社した時にはいっぱい居た先輩たち、どこへ消えたのかしらね。」
「…やめていった、ってこと?」
私は空を仰いでため息をついた。