09.収束-1
九《収束》
『嶺士、俺がどんなに土下座して謝ってもおまえは決して赦してはくれないだろう。だが、俺は他に方法を思いつかない。心から謝る、本当に済まない、俺は亜弓ちゃんと寝てしまった。
親友の妻、高校時代の後輩、ドラマや小説の世界ならいざ知らず、そういう人とカラダを重ね合ったことを俺は激しく後悔している。おまえの怒りは計り知れない。今すぐにでも俺を殴りたいだろう、だけど、それでも気が済まないだろう。そんなことをしておきながらおまえの手の届かないところに逃げてしまった俺をせめて気が済むまで罵って欲しい。
でもその行為には亜弓ちゃんの遠謀深慮とおまえを心から愛する気持ちがあった。不覚にも俺はそれに朝になってからしか気づかなかった。
軽蔑されてもいい。俺は自分の気持ちを正直におまえに伝えたい。俺はおまえのことを親友だと思うのと同時に別の妖しげな好意を持っていた。女性を相手にするようにおまえと裸で抱き合って気持ち良くなりたいとも思っていた。その想いは高校の時から少しずつ大きくなっていた。
でも、俺自身そのことにひどく嫌気が差していた。自分と同じ男を好きになるなんて、なんて不潔な感情なんだと自分を責めていた。裸になって抱き合いたい? キスしたい? 男同士で? おまえはもちろんそうだろうが、俺もそういうことに心のどこかで拒絶感を持っていた気がする。
ところが、こういう恋愛感情というものは理屈では処理できない。好きなものは好き、好きな人と一緒にいたい、同じ空気を吸って、相手のことを隅々まで知りたい。その熱い気持ちが女性ではなく男であるおまえに向いていた。結論から言えば俺はバイだ。男も女も好きになれる。
以前つき合っていた女性とのsexでひどい目にあったことが俺がおまえに妖しい情欲を抱き始めたきっかけだったのかもしれない。そう思うと、そういう負の感情が原因でおまえを好きになっていることに俺自身幻滅した。そうじゃない、俺が嶺士という男に向けなければならない気持ちはそんなことじゃない。結局俺は憂さ晴らしや仕返しに近い感情でおまえの肉体を欲していたということだ。まったく無礼なことだと思う。
あの夜、俺は危うくおまえのカラダを弄んでしまうところだった。シャツをめくり上げ、ジャージを脱がせたところで亜弓ちゃんに見つかり、未遂に終わった。あの時、もし俺が思いを遂げていたら、俺はおまえに絶交され、死ぬまで顔を合わせることができない関係を強いられていただろう。
こっちに来る時に乗っていた航空機の中で何気なく開いた雑誌にはっとさせられることが書いてあった。ロマン・ロランの言葉だそうだ。
『恋愛的な友情は恋愛よりも美しい。だがいっそう有毒だ。なぜなら、それは傷を作り、しかも傷の手当てをしないからだ。』
俺はお前を危うく傷つけ、放置してしまうところだった。
もう大丈夫。俺はおまえを抱きたいとは思わない。
亜弓ちゃんと抱き合っていた時、俺のカラダは性的にものすごく昂奮していた。だが俺は亜弓ちゃんのことを愛していたわけではない。一人の後輩としての親しみ以上のものは持っていなかった。だから安心して欲しい。俺はおまえから亜弓ちゃんを奪おうなどとはこれっぽっちも思っていない。もちろんだからといってあの夜の行為が正当化されるわけではないことも十分承知している。
あの夜の行為は、俺にとって女性との交わりが最高に気持ち良く、開放的な気持ちにさせてくれるということを初めて教えてくれた。過去に失敗して怖じ気づいていた女性経験に対して初めて前向きになれた。それと同時に、明くる朝、亜弓ちゃんに俺の気持ちを吐き出し、彼女と語り合ったことで、世の中にいる性的マイノリティと呼ばれる人たちについて、俺自身が持っていた偏見もなくなっていった。男が男を、女が女を好きになることはけっして異常なことではないと。だから俺は亜弓ちゃんに心から感謝している。