市営グラウンド-2
その市営施設には野球の出来るグラウンドが4面あり、フィールドの端同士は繋がっててやたら広い。
だから大きな打球が外野に飛ぶと、間を抜かれて大抵ランニングホームランになる。
かといってやたら深く守る訳にはいかないから、前に守ってたんだけど。
上手い外野手は前で守るもんだって言われてたし、そうでなくても基本は浅く守れって。
で、結局大きな打球が飛んで頭を越されてはよく必死に追いかけた。
だから野球の試合を思い出そうとすると、いつも転がってくボールを焦りながら必死で追いかけてく場面ばかりだ。芝の生い茂った外野はボールが転がると不規則に弾んで走るのも追うのも厄介だった。
僕は今、市営グラウンドの事務室にいる。
高校を出てから10年以上契約社員の立場でこの施設全般の職員をやっていた。
公務員並みに安定してるといえば聞こえはいいが、何の発展も未来もない。
全ての施設は少しずつ古びていって、綺麗に整備する計画なんてない。
基本は現状維持のメンテナンスで悪ければ撤去。
そして僕はそんなグラウンド管理兼設備係兼雑用・雑務をしてる。
シーズンになれば時たまプールにも駆り出されるけれど、基本的に平日は体育館の事務室で、週末はグラウンドの管理人室に出勤する。
周りの同僚はどっかで既に退職した元公務員の爺さんや学生バイトばかりで、僕みたいに新卒で入ってきてずっとやってる奴はいない。
辛い仕事じゃないけれど、大抵は長続きしないんだ。
野球グラウンドは一面あたり1日で3000円、半日で1200円で貸してる。
大きなスコアボードや放送設備を使いたければ追加料金で1000円。
もっともそれらを貸しても設備スタッフは借りる人ら自身で使う。
外部からスタッフが来るのは高校野球の予選くらいで、それ以外はほとんどない。
この辺の地域はすっかり廃れた商店街が取り残されてて、今はまともな産業が無い。
かつては市内の産業は県内にその名を響かせたものだけど、それはもう40年も前の話だ。
昭和の全盛期には地場産業の企業が隆盛だった。
各企業には寮もあってそこで働く人たちが地域に根を張り結婚し、子供を育てて長く市内を活性化させた。
特に大きな会社は社会人野球のチームも持っていて、都市対抗に出た事もあるという。
都市対抗っていうのは社会人野球では名実ともに最高の大会で、高校野球でいえば甲子園みたいなとこだ。
甲子園や大学野球で活躍しながらプロに進まなかった野球選手にとっては間違いなく夢の舞台だ。
プロ野球ほどではないにしろ、限りなくそれに近い水準の野球をやっている。
それが都市対抗だ。
もっとも、もちろん僕はそんな昔の事はろくに知らない。
戦争と同じで、「そういう時代があった」という認識だ。
それでも僕がガキの頃はまだギリギリ昭和の良かった時期の残光があった。
この市営グラウンドの設備も体育館も真新しくて子供心に輝いて見えた。
今じゃすっかり色あせたスコアボードも緑が鮮やかで眩しく見えたんだ。
「子供がたくさん来て、盛り上がってるね」
「あぁ、けっこう今でもチームが残ってるな」
グラウンドとグラウンドの間の通路にチームが集まって順番を待っている。
普段だったら考えられないほどの人出だ。
「年に一回の大会だからな」
「そうなんだ……」
そう言って母は遠くを見つめるようにして目を細めていた。
ずっと昔、俺が選手だった頃母は時折黙って来ることがあった。
らしい。
駐車場に車を止めて、僕のいるチームを探しては遠くから見つめてた。
らしい。
その頃、両親は離婚して母は俺と会わせてもらえなくなってた時期だった。
だから、そうしてたまに見に来てた。
らしい。
僕はずっとその事を知らなかった。
まさか弱小チームのベンチに座ってる補欠を見つめる目があるなんて、思いもしなかった。
父親は一度だけ来た事があった。
何でもない練習試合の日だった。
けれど、その時に限って初めてやった内野でエラーをしてしまった。
強いゴロを弾いてしまったんだ。
……今見たら多分、さほど早くもなかったんだろうけど。
それっきり父は来なくなり、その事に子供心に傷ついた記憶がある。
グラウンドでは少年たちがトンボ掛けをしてる。
ここでは試合が終わったら選手が自分で整備するのが基本だ。
どこの公共施設のグラウンドもたいていそうだと思うけど。
やらずに帰ったら管理人である僕がやる事になるけど、そんな事はまずない。
一応試合が終わるたびにグラウンド整備をやってるか、一応確認はしてるから。
「もうすぐ次の試合が始まるみたい」
「そうか……もう帰るの?」
「えぇ。そろそろお昼だし」
そう言って母は俺の膝の上から降りた。
裸の母の下半身に俺の精液が伝う。
「……あのさ」
「何?」
「もう一回しない?」
本当はもうちょっと居ないか、と言いたかっただけだ。
それなのにまるでセックスだけが目的のように振舞ってしまう。
「まだするの?」
少し呆れたような顔の母に僕は軽く頭をかく。
ちょっと恥ずかしかったけれど、僕は曖昧に頷いた。
今さらなのに、不思議な照れがあった。
「最近ちょっと溜まってるんだよ」
「そんなに忙しかったの?」
「……いや、そうでもないんだけど」
「もう12時近いわよ。あんたはお昼どうするつもりなの?」
そんな事よりもうちょっとここに居るのか、居ないのかどっちなんだ。
そう聞きたかったけど、聞けなかった。