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原爆の夜
【幼馴染 官能小説】

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原爆の夜-1

1.
父の故郷の新潟に疎開をしたのは、大東亜戦争も末期の昭和20年(1945年)の春だった。
アメリカ機の空襲が日ごとに激しさを増し、国民学校は閉鎖をして、学童は田舎の親戚を頼るか、田舎の無い子供は学校ごとに地方の温泉場などに宿舎を求めて、先生の引率で疎開をした。

秀夫は3月の下町大空襲まで東京に留まったが、国民学校5年生を終えると6年生から糸魚川の在の村に、父親の姉を頼って母と妹と一緒に移った。父は招集されて、中国の上海近くの陸軍隼隊の飛行場に駐屯していた。

春とはいえこの年は雪が深く、荷物を背負って降り立った駅の周りは、見渡す限り真っ白な雪に覆われていた。電信柱が列を作って雪の上に頭を出しているのが、その下の道路を示していた。
踏み固めた雪を踏み外さないようにバランスを取って歩くのは、都会育ちの秀夫には至難の技だ。踏み外すと、股下まで雪に沈んだ。

辿り着いた家は屋根の上まで雪に覆われ、歩いてきた雪道から雪の階段を降りたところに入り口があった。
「ようきたなあ」
叔母さんがニコニコ顔で迎えてくれた。

母は何か挨拶をしていたが、叔母の言葉は何を言っているのか一言も理解できなかった。まるで外国人と話をしているようだった。

父には弟が独りいて、その弟のために父は家を一軒建てていた。
初めはそこに住む積りでいたが、その弟が父より先に出征して中国の牡丹構と言うところで戦死をしていた。

空いた家には、僕たちよりも先に村に来た疎開者が住んでいた。
しばらく叔母の家に間借りをしながら、おばの家の地続きに小さな離れを建てて住むことになった。

村の学校に通うことになったが、まるで別世界のようだった。
言葉の訛りが強くて、何を言っているのかよく分からない。同じクラスに何人も親戚がいた。同じ苗字の子供がいるので、先生も生徒もタケシとかノブオとか呼び名を使っていた。

東京では朝起きると、学校に行く前に足にゲートルを巻いた。

集団登校するのに軍隊式に組織をされていて、僕の地域は上級生がいなかったので僕は5年生でも第4分団3小隊10班の班長をしていた。
朝、点呼を取って防空頭布を下げて、下級生を引率して学校に向かった。




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