カレノヘヤ-3
物思いにふけっていると、シャワーの水音が止まった。スタートボタンを押して、マリネとサラダの皿をテーブルに運び、割り箸を並べる。課長が扉を開けたタイミングで冷凍庫から缶ビールを取り出して渡した。
「お、気が利くな。先に一服してからでもいいか?」
テーブルの上を見て、渡されたビールの冷たさに満足そうな顔で頭を撫でてくれる。頷いて、換気扇の下に並んで立ち、缶のまま乾杯をした。
「ごめん、先に飲んでていいよっていえばよかったな」
「ううん、乾杯したかったし、一緒に飲みたかったから大丈夫です」
「まーた、可愛いこと言って。襲うぞ?」
抱き締めようと伸びてきた腕をするりとくぐり抜けた。
「お腹空きました。唐揚げも温まりましたし、先にご飯にしましょ?」
「はーい」
少しふてくさったような返事すら可愛いと思ってしまうのは、重症だろうか。換気扇の前からテーブルに移動して一緒に食事をした。話題は、食事の内容だったり、テレビのことだったり、職場の共通の知人の話だったり。同じ職場で働き始めて1年以上経つけれど、仕事をしている課長の姿を見たことがない。なんて言うと語弊がありそうだけれど、私のいる部署がちょっと特殊で、支社内の総務課とはほぼ接点がないのだ。
「なんかちゃんと皿に盛られた料理っていいな」
サーモンのマリネをつつきながら、しみじみと言う課長に思わず吹き出す。
「普段どんな食生活してるんですか?やっぱり自炊したほうがいいんじゃ?」
「んー、それは面倒臭い。ルカは普段でも自炊なんだっけ?」
「基本的には。子供の頃から祖母に鍛えられましたし。一人暮らし歴も長くなりましたし。今度ウチに来ませんか?お口にあうかわかりませんが、何か作ります」
「裸にエプロンで料理してくれる?」
「白いフリフリのフリルとかついたのは持ってないですよって、ぜーったいにイヤです。課長、大人しくしててくれなさそうですもん。キッチンは火とか刃物とか使うから危ないです」
ほらまた、ふてくさった顔。
「でもルカの手料理食べてみたい。仕事が落ち着くまでしばらく難しいかもしれないけど。やっぱり調理器具揃えようかなぁ。そしたらここで作ってくれる?」
「喜んで」
「前向きに検討します。でも、帰って来て出迎えてくれる人がいて、料理作って待っててくれる人がいるっていいな」
ー結婚していたのなら、そういう時期があったんじゃないの?しかもその言い方って一歩間違えたらプロポーズってとられても文句言えないんじゃないの?
「ん?どうした?」
「ううん、ここで調理器具揃える前に、ウチで私の腕前確認してからのほうがいいんじゃないかな?と思って」
鋭いのかそうではないのか、課長は時々わからない。でも時々、予想していないタイミングで、欲しかった言葉をくれるのだ。
「そうさせてもらおうかな。そうしたら一緒に買い物行こうな。デートらしいデートも出来てないし」
「私、こうしてここでまったりさせてもらうだけでも幸せですよ?」
ー周りの目を気にしなければいけないデートだなんて、お互いに消耗するだけだ。
「ルカは欲がないなぁ。なんだかオジサンのほうが欲張りでルカを欲しがってばかりいる気がするんだけど?」
「そんなことないですよ。毎日頭撫でて欲しいなぁって思ってますよ?」
嫌われるのが怖くて我慢しているだけなのだ。いいコでいるフリをするのは昔から得意だし。
「職場で毎日って訳にはいかないもんなぁ。なぁ、ルカ。ここの合鍵持っていくか?」
「合鍵ですか?お預かりするのはかまいませんけど、開けたら他のおねーちゃん出てくるとかイヤですよ?」
「あのなぁ。他のおねーちゃんなんていないし。こんなくたびれたオッサンの相手を好き好んでしてくれるのはルカくらいなもんです」
ーそうかなぁ。喫煙所に集う女子に、結構課長、人気あるんだけどな。
なんだかんだと言いながらもお酒を飲み、買ってきたものをつまんでいるうちに、課長のビールが空になったようだ。
「そろそろ一服するか?」
何度かこの部屋を訪れていると、なんとなく課長のタイミングがわかってくる。煙草は換気扇の下でしか吸わないと決めていて、2本目の飲み物を取りに行くタイミングで、煙草を吸いたくなる、とか。
立ち上がった課長につられ、一緒にキッチンへ。お互いの煙草にそれぞれ火をつけー下手すると私の煙草にまで火をつけてくれたりするー、一息ついたところで、スキンシップが始まったりとか。必ず、私の右側に立ち、空いている手が腰に回される。最初は大人しく撫でているだけだけれど、だんだん手つきがいやらしくなってきて、吸い終わる頃にはたいてい背後から抱き締められたりとか。
「ルカ、ここに来るときだけ煙草変えてる?」
普段は、1ミリのロングのメンソールだけど、ここに来る時は銘柄の違うショートのメンソール。
「だって、いつものだと同じタイミングで吸い終わらないでしょ?」
用意してくれた灰皿がわりの容器で後始末をしながら答えると、やはりいつもと同じように背後から抱き締められた。この体勢も好き。消し終わると向かい合わせにさせられて、長いキスが始まる。キスの間中、課長の手は私のあちこちを刺激する。反応すればするほど、その動きは荒々しくなり、シャツの中にも遠慮なしに侵入してくる。呼吸が苦しくなって離れたら、手を繋いで部屋に戻るのだ。手を繋ぐのも、やっぱり好き。
ここに来るときだけコンタクトにするのは、最初にキスした時にお互いの眼鏡が邪魔で吹き出してしまったから。