豹人と少女-4
「ただいま」
中に誰もいないのは承知でも、無人の部屋に寂しく帰るのは苦手だ。鍵を開けて扉を開きながら、リュネットが小さく声を発した時だった。
「俺も、ちょうど今帰った」
低い声と共にポンと背後から肩を叩かれ、リュネットは扉を放して振り向いた。
「エド!」
いつのまにか背後に、黒髪の豹人青年――エドガルドが立っていた。
彼は、そこそこ長く生きているようだが、正確には何歳なのか、リュネットは教えて貰っていない。
でも、まだ老い始める年齢ではないらしく、精悍な顔立ちは二十代半ばに見え、しなやかで引き締まった長身をしている。
「おかえりなさい!」
リュネットは満面の笑みでエドガルドに抱き着く。
ここ数日、遠方にある人間の街まで出かけていた彼は、肩に大きな鞄を下げてくるぶしまであるフードつきの長いマントを羽織り、行商人のような旅装をしていた。
ここに住む豹人達は基本的に他種族との接触を好まず、大抵のものは密林で自給自足しているが、時には街で、生活を豊かにする品を買いたくもなる。
人型をとって尾さえ隠してしまえば、豹人は人間とあまり見分けがつかない。よく見れば瞳が微かに金色がかっているが、フードを被ればそれも殆ど目立たなくなる。
そこで豹人達はたまに正体を隠し、人間や他の魔族が集う街へ行っては、狩った獲物の毛皮などを売り、必要な品々を買い求めるのだった。
「ああ。ただいま」
エドガルドが微笑んだ。彼の瞳は他の豹人と同じ黄色だが、すっきり整えた髪と艶やかな長い尾は、夜闇を思わせる漆黒の色だ。
僅かに金色を帯びた目が優しく細められるのを見て、リュネットの心臓が大きく鼓動した。
リュネットは、エドガルドが大好きだ。
彼とは種族も違うし、昔は頼もしいお兄さんみたいに思っていた。けれど、今では少し違うような想いを抱いている。こうして胸が締め付けられるように疼くたび、きっと彼に恋をしているのだと思う。
「えっと……随分と、早く帰ったね」
しかし、今はもう一つの理由でドキドキしながら、ある期待を胸に彼を見上げた。
ここから、豹人の足なら半日程度の距離にも街は幾つかあるそうだ。だが、エドガルドは遠くに贔屓の店があると言い、いつも出かけると数週間は帰ってこない。
「間に合うように急いで帰って来た。今日は、お前の誕生日だろうが」
当然だと言わんばかりの表情で告げられ、リュネットは大きく目を見開いた。
見事に期待を満たされ、たちまち表情が明るくなる。
リュネットがここに住み始めたのは八歳の時で、それから誕生日は、毎年エドガルドがお祝いしてくれていた。
けれど、今年は誕生日の事など何も言わず、なぜかやけに不機嫌な様子で唐突に出かけていってしまったから、忘れているのかと密かに落ち込んでいたのだ。
リュネットの表情から考えを汲み取ったらしく、エドガルドが苦笑した。
「忘れていると思ったか? 出がけに慌ただしかったせいで、言わなくて悪かったな」
「うっ、ううん! 忘れてるんじゃないかとは思ったけど……もしかしたら思い出して、早く帰ってきてくれるかもって、期待はしていたの」
リュネットは力いっぱい首を横に振り、顔を赤くして白状した。
「だから、御馳走もすぐ作れるように準備してあるよ。ほらっ」
身体を傾けて、背中の籠の中にある果物を見せた。
「じゃあ、買ってきた誕生祝いの品は、夕食の時に渡そう」
エドガルドの大きな手がリュネットの頭を優しく撫でた。その逞しい手首には、リュネットの首輪と揃いの黒い腕輪が光っている。
「ところで俺の留守中、変わりはなかったか?」
「あ……うん。ベラさんが親切にしてくれたから、大丈夫」
先ほど絡んできた青年との出来事が頭を掠めたが、あんなのはよくある事なので、リュネットは結論の良い部分だけを告げた。
「そうか」
エドガルドが頷き、同時に長いしなやかな尾が、リュネットの手をくすぐった。
「ん?」
どうやら、良い子で留守番していたご褒美タイムらしい。
リュネットはくすくす笑いながらエドガルドの尾を掴もうとするが、ビロードみたいに滑らかな毛並みの感触は、素早く器用に逃げてしまう。
そうしてしばし大好きな尻尾遊びをさせて貰ってから、リュネットはエドガルドに促され、部屋に入った。