追跡-1
湯船に浸かりながら帰り際の佳奈を思い出していた。タクシーに乗り込むとき確かに耳元で「後で連絡するわ」と佳奈は囁いて帰って行った。今は何時かしらと現実に戻りつつ携帯電話は鞄の中に入れたままだったことを思いだして浴室を後にしていた。
「夕食はどうなさいますか」
湯上りのバスローブを羽織り旦那の部屋に声を掛けてみたが返信は無く深い鼾声が聞こえていた。
ほっとしながら部屋に置きっ放しの携帯電話を確かめると不在着信を伝えるランプが点滅していた。
やっぱり佳奈かしらと部屋着に着替え液晶を見てみたが知らない電話番号が不在着信を伝えていた。
誰かしら。と思いながら反射的に慣れた操作で不在着信を削除し、柱時計を見上げて21時の時刻を確かめ遅い夕食の準備を始めようかしらと髪を梳かし始めていた。
佳奈から連絡が来たのは23時30分過ぎにひとりでワインを楽しんでいた時だった。
「佳奈だけど」
佳奈らしくこんな時刻でもそっけなく、こちらの事情を確かめることも無く淡々と用件を話し終えると「それだけよ」とわたしの返答を求めていた。
わたしはあの時の事を話されるのかと身体が熱くなるのを宥めながら佳奈の用件を一通り聞いて見透かされないよう「わかったわ」と急ぐ様に電話を切っていた。
佳奈の用件は分かったけど意図は全く理解できなかった。
「橋本駅前に19時。そこであなたを車で拾うわ」
佳奈はそう言っていたが、橋本駅は聞いたことはあるが何処にあるのか正しくは分からないけれどまぁいいわ、とわたしはキャンターのワインを注ぎ直して来週の木曜に橋本駅ね。分からないわと呟きながら酔いを回して今日の出来事を忘れるようにベッドに移動して眠り始めていた。
橋本市は都心郊外にある閑静な住宅街だった。駅前はバスターミナルとタクシー乗り場で賑わい、待ち合わせの19時は帰宅を急ぐ人で溢れた時間帯だった。
「早く乗ってよ」
タクシー乗り場近くで待っていたわたしの目の前にメルセデス750を横付けして窓越しに急かすように佳奈は早く乗るよう促していた。
「ちょっと何処に連れていくのかしら」
「いつものことよ」
いつものとこの間違いかしらと考える余裕を与えさせないかのように肩で唸りながら国道を駆け抜けていった。
しばらくすると大学生が住むようなアパートが散見される住宅街を低速で走り誰かの家の室内ガレージに750を勝手に停めた所だった。
「ここよ」
全く意味が分からなかった。真っ暗なガレージの中でエンジンを切らずに後部座席に移動してわたしを呼ぶ佳奈に完全に呆れていた。
「いったい、ここはどこなのよ」
佳奈は何も言わず小型の液晶を取り出してわたしに渡していた。その液晶には誰かの部屋が映しだされているようだった。
「これは何なの」
咄嗟に佳奈に聞い時だった。玄関から誰かが帰宅する小さな音を液晶は拾っていた。リビングのライトが照らされ薄暗い部屋の全てが鮮明に映されていた。液晶に映る部屋はごく普通の一人暮らしの女性宅のようだった。これは何なのと問い質そうとした時、液晶に映しだされた30代の女性が湯船を沸かしながら服を脱ぎ始めているようだった。
「やだこれ撮影してるの」
驚きを隠せずに素直に声にだしてしまっていた。
「これからよ」
佳奈は真面目な表情でカメラの尺度と角度を変えならその女性を液晶に収めるように何かを操作しているようだった。
わたしは驚きと好奇心で何も言うこともできず液晶に映る女性を見つめることしかできなかった。