訃と夫と婦-2
普段からシングルマザーとして菜緒を懸命に育てている苦労が、ストレスとして溜まっていたのかもしれない。
豊川と暮らしていた頃は、それほど飲酒する習慣は無かったのだが、離婚した後は知らない。もしかすると、壊れない程度にアルコールを嗜み、ストレス発散をしていたのだろうか。
豊川としても、ヘベレケとまではいかなくとも、ここまで酔った望未を見たのは初めてといってもいい。
「大丈夫。私はアパートに帰るわ」
ちょっとふらつき気味ではあるが、意識もしっかりしており、心配するほどでもなさそうだ。
望未たちのアパートは、駅方向に向かって約15分。閑静な住宅街にあると聞いたことがあった。
「帰るんだったら、晃彦さんに送ってもらえば?駅まで行くんでしょ」
真澄がとんでもないことを言いだした。
豊川と望未はともにギョッとし、互いの顔を見入った。
「ああ、そうね。ちょうどいいんじゃないの。晃彦さんにお願いしたら。晃彦さんには手間かけちゃうけれど」
百合子もこれ幸いと言った感じで、真澄の言葉に被せた。
「だ、大丈夫よ。一人で平気よ」
やや前屈みだった望未は、真澄の言葉にシャンと背筋を伸ばした。
「酔っぱらってるのは平気かもしれないけど、夜道を女一人で歩かせるなんて、親としては出来ないわよ」
他の面々は、この展開を声出すことも無く見守っていた。
「望未。あなた、いつもより酔ってるでしょ。お父さんのお葬式が控えてる時に、何かあったらどうするの?私だってお父さんに顔向けできないわよ」
この場面で、亡くなった父を引き合いに出し、語気を強めた。生前から威厳のあった父が背後に控えたとあっては、望未も無下に反発できない。
「晃彦さん。何を今更って感じはあるかもしれないけれど、これは私からのお願いです。望未をアパートまで送り届けてやってくださいな。一言も話さなくてけっこうです。送っていただけると助かります」
紀夫亡き今、家族の頂点に立つ母からの言葉に、望未も反論することも出来ず、項垂れるしかなかった。
「望未。この辺が比較的安全なのはわかってる。でも、もしもってこともあるのよ。一緒に送ってくれる人がいるんだから、これ以上安全なことはないでしょ」
変わらず俯いたままの望未を諭すように百合子が言った。
「ね、送ってもらいなさい」
ダメを押す百合子。
後は、豊川の返事一つで決まる状況に追い詰められた。
「わかりました。お引き受けします」
豊川も百合子の手前、断ることも出来ず、この状況を受け入れるしかなかった。
「そう、助かるわ。どうもありがとう。望未をよろしくお願いします」
頭を下げる百合子だったが、どこかニヤリとした雰囲気が見て取れた。もしかすると、振り返って舌を出していたかもしれない。
玄関までは菜緒が着いてきて見送ってくれた。
「パパ、ママをよろしくね」
子供とはいえもう高校生だから、この状況がどういうことなのかは分かっているはずだ。菜緒も復縁してくれることを望んでいることは、声のトーンとその笑顔からよくわかる。
それには豊川も望未も気付いていた。
「夜更かしないのよ」
「じゃあな」
二人は簡単な言葉を菜緒にかけ、紀夫宅を後にした。
家を出てから2分程たっても互いに話をするような雰囲気にはならなかった。
豊川は、紀夫の『寄りを戻して欲しい』という想いは知っていたが、同じことを望未にも言っていたのかどうかはわからない。
たまたま二人っきりになれるシチュエーションがやってきたことは、まさに紀夫の執念か。百合子も紀夫のその想いを知っていたようで、絶妙のアシストをしたと言える。
それでも6年以上の空白が二人にはある。簡単にお手てつないでなんてことにはならない。
多少酔いが残る望未は、トボトボといった感じで、先を歩く豊川の後を着いてきている。
「もう近くだから大丈夫」
駅とは別方向に向かう曲がり角で立ち止まり、望未が言った。
「ここ行けばすぐだから」
素っ気無い言い方は、必ずしもこの二人っきりの状況が、自分が望んでいたものでは無いとでも主張しているかのようだった。
「そういう訳にはいかないよ。何かあったらそれこそお義父さんに顔向けが出来ない。無事送り届けてなんぼだ」
そう言って、望未の後に着いて曲がり角を曲がった。
また無言の時が流れた。
暗がりのエリアを通り抜けると、少し明るい場所に出た。
「ここだから」
そこはアパートが何軒か密集しているエリアだった。そのうちの一棟を指差して望未が言った。
アパートとは言っても小洒落た趣の建物だ。
(ここで菜緒と一緒に暮らしているのか・・・・・・)
「もう大丈夫。ありがとう」
望未は軽く頭を下げ、アパートに向かって行った。
豊川も、さすがにここまでくれば大丈夫だろうと判断し、駅方向に踵を返した。
「キャッ」
2,3歩歩いたところで、後方から望未の声がした。
振り返ると、片膝をついて足首を擦っていた。
「どうした!?」
慌てて近寄ると、「あいててててて」と顔をしかめて、足首を擦っている。
「鍵をバッグから取ろうとしてたら、階段を踏み外しちゃった」
どうやら暗がりで足が突っかかったらしい。
「大丈夫かい?」
豊川が顔を近付けると、微かな酒の匂いと、懐かしい望未の匂いがした。
(ああ・・・・・・望未だ)
長い年月を経ても、共に暮らしていたパートナーの匂いは鼻の奥で憶えていた。
「ごめん、大丈夫だから」
そう言って、立ち上がった望未だったが、少しよろめいた。
「いいよ。最後まで送るよ」
豊川は、そんなに酷くはないだろうと思いながらも、手を貸した。
「ツツっ、あ、ありがと」
望未は豊川の差し出した手をしっかりと握り、立ち上がった。