思い出の君、今いずこ-11
「もうね、あの日の匂坂美由はいないんだよ。純粋に君のことを想って、呆れるほど気の遠い
約束を交わしたあの女の子は、もうどこにも存在しない。わたしが言えた義理じゃないけど、
雅樹にはそれを分かってほしい。現実を……今のわたしを、見てほしいの」
静かな、ほとんど子供を諭すような口調で美由が語った。
「……」
一方雅樹に、言葉はない。
「それに今のわたしを……オタサーの姫になって毎日みんなとエッチしてるわたしを知れば、
雅樹も何かが変わるかもしれないよ。吹っ切れちゃったりなんかしてさ。そしたら、お互いに
新しい付き合い方が見えてくるかもしれないし」
「……」
どこか願望の臭いがする美由の言葉を聞きながら、雅樹は顔を上げ、安普請の天井をじっと
見つめた。
正直、迷った。
どんな状況であれ、美由が魅力的であることに変わりはない。
それに、もしかしたらあの四人から美由を取り返すことができるかもしれないという微かな
期待も、心の底になくはなかった。
いや、むしろ今ここで、自分が何とかしなければいけない。
そんな気負いが、脳天から足の指先に至るまで、びりびりと電流のように流れる。
だが、しかし――。
「ダメだ」
結局雅樹は、首を横に振った。
「俺には、できない。そんなことするくらいなら、思い出は思い出のまま、眠らせておく方が
いいと……俺は、思う」
「……」
美由から返ってきたのはしばらくの沈黙と、どこか感情の薄い、視線。
「思い出は思い出のまま眠らせておく、か……」
雅樹の言葉を反芻するように繰り返すと、美由はふふ、と声をあげて笑った。
「ほんと、変わらないね、雅樹。その真面目なくせして妙にロマンチックなところ」
「う……」
慈しむような、それでいてどこか芯の冷めた目で、美由が雅樹を見つめる。
「じゃあ、これでお別れかな」
潤んだ唇からこぼれたのは、そんな一言。
「お互いメアドも番号も削除、家の場所は……まあ忘れてってことで」
そう続けた美由の顔には、もう雅樹の知らない笑みが当然のように張り付いていた。
「分かった……じゃあ、元気で」
「うん、雅樹も」
美由の言葉を背中で受け、雅樹は玄関を出る。
そっとドアを閉めて、気配を消すように音もなく何歩か進んだところで、ふと足を止めた。
「……」
振り返ることなく、そのまま目だけを閉じる。
「十年後に、この八月に、また会おうって。そしたらその時は、わたしも雅樹ももっと大きく
なっていて、自分達の意志でずっと一緒にいられるはずだから」
瞼の裏に浮かんだあの日の美由が、夏の蜃気楼のようにふっとどこかへ、消えていった。