『秘館物語』-14
「ん……」
碧はベッドの上で身を捩った。眠れない。
窓を叩きつける風の音か、妙に昂ぶった気持がそうさせるのか。
「………」
こんなときはどうしても考えごとをしてしまう。不意に、浩志が抱えていたフィルムが思い出される。そして、自分の身体に刻まれた傷跡も。
(浩志さん……)
こんな自分をその中に見て、果たして浩志は何と言うだろう。
あのフィルムに詰まっている全てを、碧は知っている。最初に出てくる女性が、志郎の若き日の欲望を全て受け止め、そして志郎の表現するエロスの中心になっていたと言う内縁の妻だということ。その人が亡くなってかなり後に、メイドとして先に働いていた先輩の望が同じような立場の人間になったこと。
(私……)
もぞり、と何度も寝返りを打つ。考えても考えても、行き着くところは浩志の困惑した顔だ。
浩志と志郎は良く似ている。しかしそれは、顔や喋り方が似ているということではない。むしろその範疇で言えば、二人は全く似ていない。それはそうだろう。血が繋がっていないのだから。
似ているのは、雰囲気だ。
絵を描いているときの浩志は静寂な中にも確かな激情の存在を匂わせていた。それが、志郎の言うところのカオスの片鱗なのであろう。だとしたら、そのカオスは志郎のものと全く同じ匂いがする。画家の血をひくゆえに、潜在的な本能が碧にそう思わせる。
浩志が失っているというカオスは、果たしてどんな形を持っているのか。あのフィルムでそれが浮き彫りになるとしたら、それが気になって仕方がない。
(違う)
思いかけて、碧は首を振った。絵画に関する話にもっていくのは、方便に過ぎないと自分でもわかっているから。
(私は……)
浩志に惹かれている。だから、フィルムの中にある自分を浩志が見つけたとき、彼に嫌われてしまうのではないかと、恐れている。
(………)
起きた。もう、寝られそうにない。碧はベッドを這い出ると、寝巻き姿のまま部屋を出た。目指す場所はただひとつ。そこにいって、どうするか、という思考は今の彼女には何もなかった。
ただ、逢いたい人の所へ。彼女の意志は純粋に、その場所へと向かっていた。