つれづれアサシンにっき-1
氷室心。その名を知らぬ者は、この業界ではモグリである。
曰く、血の通わぬ悪魔。曰く、死神の呼び声。曰く、地獄への案内人。氷室心は、数多の異名を持つ殺し屋だ。彼に狙われて無事だった者はいない…。
コンコンコン
とある高層ビルの最上階にて、ノックの音が響く。 真っ赤な絨毯が一面に敷かれており、大きな窓の前に置かれたデスクが簡素に見えるほど、その部屋は広い。黒塗りのデスクは、高級アンティークならではの重厚な威圧感をかもし出している。
「入りたまえ」
デスクにドッカリと腰を下ろした男は、ノックの主に一言で返事をする。顔には深いシワが刻まれ、頭もすっかり禿げてしまっていたが、その眼光はいささかも衰えを見せない。裏社会を牛耳るマフィアのドン、リッチ・ガイゼルは、葉巻を灰皿に押し付けた。
「失礼します」
入って来た男は、リッチとは対照的に若々しい。短い黒髪をキッチリと整え、黒いスーツを着込んでいる。年の頃は、20代前半くらいだろうか。
「待っていたよ。世界最高の殺し屋、氷室心」
「初めまして、ドン・リッチ。依頼を承りに参りました、氷室です」
「ほう、ずいぶんな色男だな。羨ましいよ」
「…ターゲットは?」
「クライアントと無駄話をしない。噂通りだな」
リッチは、ニヤリと笑みを浮かべる。
「この男だ」
そう言って、一枚の写真を取り出した。
写真には、アフロにヒゲをたくわえた、かっぷくの良い男が写っている。
「名前は、エル・マルコ。フリーのカメラマンだ」
氷室は、写真を手に持ち、それを眺める。
「…なぜ、この男を?」
「カメラマンの仕事を知っているか?スクープを撮ることだ」
「一介のカメラマンを消すのに私を?」
「万が一にも失敗できないからだ。私のスクープを入手した彼は、かなり用心深くなっているはずだ」
「…なるほど。分かりました。この殺し、請け負いましょう」
「そうか。では、報酬だが…」
「金はいりません」
「…やはり、噂通りだな。つまり、報酬はアレで?」
「はい」
「ククク…変わった男だ、君は。あんなもので殺しを引き受けるとは」
「まともなら、殺し屋などやっていませんよ。では、失礼します」
会話を終えると、氷室は踵を返して部屋を出ようとする。しかし、そんな彼をリッチは呼び止めた。
「待ちたまえ」
「…まだ何か?」
「あ〜…その、非常に言いづらい事だが、氷室君。一言良いかな」
「何でしょう?」
リッチは、眼を背けて一言。
「社会の窓は、閉めておきたまえ」
「!?」
氷室のズボンからは、ハート柄のトランクスがコンニチワをしていた…。
氷室は、わずか三日間でエル・マルコのあらゆる情報を入手していた。
「……」
エルが、日々の日課としているジョギング。そのコースなど、彼にとっては何の苦労もなく知ることができる。
氷室は、公園でジョギング中のエルの姿を、雑貨ビルの屋上から監視していた。
「……」
エルの位置を確認し、ライフルを構える。狙撃は、まさしく抹殺の華である。現場を目撃されにくく、ターゲットからの反撃を受ける心配もない。そして、何よりかっこいい!