イリーナ=ドンブロフスカヤ-1
ドアを開けたら家畜小屋のにおいだった。においのせいで、大きなベッドと、そこに寝ている女の子に、僕はすぐには気が付かなかった。女の子は十二歳くらい。顔を起こして僕を見つめる瞳は濃い緑色。真っ直ぐな長い金髪をしていた。
「Ira, tio estas S-ro UCUMI Makoto, kiu zorgos pri vi ekde hodiaŭ. Salutu bone. じや、頼んだよ。」
ドンブロフスキーさんは、そう言うと、僕の肩を軽く叩いて行ってしまった。僕の後ろでドアの閉じる音が無情に響いた。
「誠くん、ちょっと大事な話があるんだけれど、いいかな。」
ドンブロフスキーさんから声を掛けられたのはきのうのことだった。
ドンブロフスキーさんはポーランド人で、無農薬有機野菜の農場を幾つも経営している敏腕起業家だ。高校を卒業しても、何をしたらいいか分からなかった僕は、縁あってその農場で働かせてもらっていた。親の持ち物の別荘がそう遠くない所にあったので、そこで一人暮らしの生活だった。とは言え、まだようやく四十日が経ったに過ぎない。
「なんでしょう。」
「仕事を変わってほしい。」
「えっ?」
ドンブロフスキーさんは決して現場を疎かにせず、必ず自分でも働く人だった。そして僕には目を掛けてくれていた。ひ弱な僕のために力の要らない仕事ばかり回してくれていたし、アルバイト代だけでなく野菜も貰えていたのだから、環境が良すぎるとは自分でも思っていたが、ちょっと好意に甘え過ぎだったかと反省した。でもドンブロフスキーさんは優しい笑顔のまま僕を見ていた。
「娘の面倒を見てくれないか。」
女の子はもう向こうを向いていた。一人にされた僕は、枕元に歩いて近寄ったが、女の子はこちらに目を向けなかった。何か、近くにいてはいけないと感じてしまうような、美しい顔立ちをしていた。
家畜小屋のようなにおいは、明らかにこの子からしていた。金髪が油じみている。シーツも替えていないだろう。
「Давай познакомимся. Я Макото. 」
きのうの晩、頑張って覚えてきた言葉を言ってみたら、女の子は振り向いて
「Mi jam aŭdis vian nomon. Mi estas Irina, sed nomu simple Ira. Ĉu vi scias, kia mia situacio estas?」
「えーと」
急に言葉を変えられて詰まっていると
「お父さんに聞いてない?」
また言葉が変わって当惑している僕の様子に、女の子は笑った。
「分からない?」
「ああ、なんだ日本語か。気づかなかった。」
「あたし、イリーナだけど、イーラって呼んで。誠さん、あたしのこと知ってるの?」
「少しなら。いや、少ししか。」