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菩薩恒作衆生利( ぼさつこうさくしゅうせいり )
【ロリ 官能小説】

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イリーナ=ドンブロフスカヤ-2

女の子はドンブロフスキーさんの実の子ではなかった。母国に渡ってきた難民の子を引き取ったのだそうだ。
「親は消息不明だと言うし、受け入れる満足な施設もない。それで、養子ということにしたんだよ。」
でもね、が続いた。
ドンブロフスキーさんは作物を本当に愛していた。物として野菜を扱わない。だから、小さな株や育ちの悪い株も捨てず、畑には無駄な部分が結構できるのだった。それでも、不思議と全体の売り上げはとてもよかった。
ドンブロフスキーさんの博愛の情は留まるところを知らなかった。現に僕も目を掛けられている当人の一人だ。しかし、実行できる愛情の範囲には誰でも限界がある。見たところ、ドンブロフスキーさんは限界を自分で知らないらしい。その限界は恐らく僕の百倍も先にあるのだろうけれど、手に余って気を配りきれなくなることが、ドンブロフスキーさんの場合、相当にあった。現在進行形で僕にはそう見えた。今回、人間、それも自分の娘が手に余ってしまったという訳だろう。こうなると、人がいいのか悪いのか実際分からない。
「十一になるんだが、なかなか懐かなくてね。私も妻も忙しいし、相手をほとんどしてやれなかった。」
悲痛な面持ちでドンブロフスキーさんはそう言った。
そのうち、女の子に原因不明の麻痺が現れた。首から下が動かなくなり、感覚もなくなった。
「妻が介護していたんだが、結局あれも過労で倒れてしまった。かと言って、ここであの子を施設に出すのも、捨て直すようでまた無責任じゃないか。」
無責任というのは、何かに関わっておきながら途中で投げ出すことだと僕は思う。女の子を施設に手放すのが無責任なら、手元に置いて世話をしないのも無責任だろう。
今回のことは、引き取ってから世話ができなくなったという話だ。出来ないことに人はそもそも関わるべきではないのだと言う人もあるだろう。でもそう簡単に事は言い切れるものじゃない。ドンブロフスキーさんのお陰でとにかく女の子は助かったのだから。
いずれにせよ、僕は意見できるような立場でもなかったし、ドンブロフスキーさんのように度量のある人間でもなかった。


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