〜 情報その3 〜-3
……けれど、メッキは剥がれる運命にあります。 女性に伴う諸々の要素で飾った肉体も、所詮タンパク質主体の有機物に過ぎません。 どんなに世間がちやほやして、女性同士で憧れてみたところで、粘膜の摩擦熱以上の温もりを膣から得ることは不可能です。
旧世紀・近代に至り、女性の肉体はただの『商品』になりました。 商品を売る主体は、或る時は不特定多数に向けて性交映像を送る放送業者だったり、或る時は軍隊だったり、或る時は同業組合だったり、また或る時は商品本人だったりと様々です。 その全てに共通することが、金銭と引き換えに自分の身体で恥を掻くことを厭わない、浅ましい女の本性でした。
近代の娼婦@ 〜コリアの洋公主〜
かつて体面上売春を禁じた国家が手引きし、外貨獲得のために売春行為を奨励したことがありました。 膣以外に価値がない女性は『愛国者』と煽(おだ)てられ、浅ましい行為に精をだし、もっと体を売れ、という要請に応えたといいます。 娼婦は『第五種補給品』と呼ばれ、『ドラム缶に詰められた缶詰状態』で殿方のもとに運搬され、警察の監督下で性奉仕に励みました。 性病を発症した娼婦は『モンキーハウス』に収容され、性病の治療以外すべての自由を奪われたそうです。 また、正常な体調下の娼婦でも、感度を上げるために強制的に薬物を投与されました。 このように物品扱いされたのも、偏に女性の価値の根源が『膣』であって『人格』でなかったためでしょう。
近代の娼婦A 〜アムステルダムのレッドライト〜
中毒性薬物、大麻、飲酒運転、ドラッグのほとんどが合法な都市では、売笑婦が組合を作り、堂々と自身のカラダをひさいでいました。 個人が赤い電灯がともる小部屋を借り、窓の傍で下着一枚、或は全裸になります。 窓はまさしく『ショーウィンドウ』で、展示するものは売り物、即ち自分のカラダ。 赤いライトは肉質を艶やかに見せます。 外から少しでも綺麗な肌に移るよう、娼婦が工夫を凝らした結果が、レッドライトが並ぶ淫靡な街並みでした。 殿方が部屋をノックすると、娼婦は自分で自分の値段を告げ、奉仕から会計まで、淡々と事務的にこなします。 入口には自分の持っている性技を羅列して、どんな恥をかくことも厭いません。 なぜなら彼女は商品であり、店主であり、彼女の膣が生きる源泉だと自分自身が認めているからです。
近代の娼婦B 〜日本の飛田新地〜
かつての娼婦が年季を経て『客引き(やり手ババア)』になり、後進を指導して立派な娼婦に育てる色町です。 全ての娼館は『料亭』であり、行われる性交渉は『旅館の仲居と客の親睦』という設定で行われるため、おしぼりやドリンク、おつまみが欠かせません。 売笑婦は自分の性的価値を高める意匠を競い、店先に座って行き交う殿方に笑顔を振りまきます。 露骨に自分のカラダを晒すことは法律で禁じられていたため、兎に角全身全霊を込めて、自分の恥を見て欲しい気持ちを笑顔に載せて届けるわけです。 女性の純情の象徴であった笑顔さえも、これで目出度く売笑の道具に成り下がりました。
近代の娼婦C 〜インドの神聖娼婦(デバダシ)〜
当時のインドには総計1000万人――総人口10億として、約1%――の売笑婦がいたそうです。 その中で豊穣の女神『イェラマ』に少女を捧げる風習があり、捧げられた少女(デバダシ)は女神の奴隷とされます。 真珠の首飾りをつけて女神と一体になったことを世間に示した少女にとって、売笑は女神に捧げる儀式です。 唯の少女が売笑するよりも、女神になった少女の恥の方が貴ばれる結果、デバダシの処女、破瓜、性交の価値は高騰します。 神の名前で性交を正当化し、恥を掻くことを儀式と言い換えて、やがて自己欺瞞の中で神への信仰すらも汚してしまう――女性の浅はかさといってしまえばそれまでですが、娼婦の視野の狭さには呆れるしかありません。