冥界の遁走曲〜第二章(前編)〜-3
「まだアキレスの事を引きずってるのね。
まったく、だらしないんだから」
はぁ、と楓が呆れて溜息を吐く。
「まだ体がなまっちまってて仕方がねえんだ、楓、特訓付き合ってくれよ」
「悪いけど私、今忙しいから。
ほら、癒姫、続き」
癒姫が再び唸りだしたのを楓はボーっと見ている。
「おい、お前暇だろ?」
「冗談も休み休み言ってよね。
私はちゃんと癒姫が議事内容作成できるかどうか見ておかないといけないんだから!」
「癒姫ちゃんならちゃんとやるだろう!?」
龍也の言葉に癒姫は苦笑いを浮かべる。
危うく、ダメだ、と言いかけるところであった。
「って言うか癒姫ちゃんも特訓行こうぜ?
ただここでずっと頭回してるよりも気分転換に体動かした方がすっきりして順調に良くかもしれないぜ?」
癒姫は少し考えて、
「そうかもしれませんね……」
と呟き、
「それじゃあそうしましょうか」
癒姫は快諾した。
「癒姫、いいの?」
楓が心配そうに聞く。
「はい、確かに龍也さんの言う通りかもしれないので」
癒姫が浮かべる笑顔をとりあえず信じることにして楓は龍也と癒姫と一緒にトレーニングルームへと向かって行った。
◎
……今日も結局現れなかったか。
あまり期待はしていないことを心の中で呟いてみる。
すでに日は完全に沈みかけていた。
そして屋上の鉄ドアを開ける為にノブを握る。
が、ドアは闘夜の力を必要とせずとも開いた。
それは向こう側からの開扉を意味している。
闘夜の心臓が一際大きく高鳴る。
……もしかしたら……!!
闘夜は頭の中で少女のイメージを呼び覚ます。
が、それは徒労に終わった。
扉の向こう側から現れた人物は少女ではあったが、闘夜が想像した少女ではなかったからだ。
その少女は闘夜を見て、
「神無月……先輩?」
少女の方もまさか屋上に闘夜がいるとは思っていなかったようだ。
そして闘夜の名前を呟いた後、
「うわぁ!こんなところで逢えるなんて超嬉しいです!」
少女は闘夜を知っているが闘夜は少女を知らない。
そもそも闘夜の事を知らない生徒が同じ学校にいるとしたら登校拒否者くらいのものだ。
入学して間もない一年生ですら闘夜のことを知っているのだ。
スポーツ万能、成績優秀、生徒会会長、容姿端麗、性格美人。
この五大要素の元に闘夜の絶大な人気は成り立っており、それ故闘夜に告白してくる女の子は学年を問わず並ではない。
だが闘夜はそんな勇敢な女の子の気持ちに応えたことは一度も無い。
そしてその拒否は冥界から帰ってきてから何故か強固になっていると自認していた。
闘夜はその理由を冥界で手に入れたアイデンティティーのおかげだと考えているが。
そして同時に言っておくと闘夜は社交性が皆無なので友達が一人しかいない。
それもあって自分は相手を知らないが相手は自分を知っているなどといった事は日常茶飯事だった。
「私、霜月 神楽(しもつき かぐら)って言います!
うわぁ、今日の正座占いでは11位だったのに、もう今日は堂々1位を名乗りあげてもいいくらいですよね?ね?」
神楽、と名乗った女性は押し付けるように闘夜に話しかけてくる。
「あ、ああ……そうだね」
闘夜は作り笑いを浮かべながら神楽に屋上への道を譲ってやる。
社交性はないくせにこういった配慮ができるのが不思議である。
「あ、ごめんなさいはしゃいじゃって。
本当は先輩とお話するつもりで来たんじゃなくて忘れ物を取りに来ただけなんです」
そう言って神楽は屋上の隅っこの方にあった弁当箱を拾い上げてカバンの中に入れた。