嗤う女-2
地主はその赤ん坊を自分の家に連れて帰った。
嫁に出した娘に子が生まれず嫁した家から追い出され、気の病を患っていたからだ。
おまえの生んだ子だと思い込ませることで、少しでも正気を取り戻してくれるのではないかと言う浅知恵だった。
初めこそ着せ替え人形でも可愛がるように着物をとっかえひっかえしていたが、それも三日ほどしか続かなかった。
「乳が出ない!この子に飲ませる乳が出ないよぅ!」
乳房を出したまま、髪を振り乱して泣き叫ぶ娘の姿は親が見ても背筋が凍るほどだった。
赤ん坊には近所の子持ちからもらい乳をして育てていたが、やはり娘に赤ん坊を与えたところで病状がよくなることはなかった。地主は妻にも咎められ、結局この赤ん坊を捨てることにした。流れ者が産み落とした、口もきけない子だ。いなくなって誰が探すわけでもない。夜中に連れ出し、森に入って行った。
提灯の明かりを頼りに中ほどまで来ると、念のために辺りを見回し赤ん坊の口を塞いだ。
赤ん坊は苦しそうに小さな体でもがいていたが、いきなりかっと目を見開き地主を見つめた。乳飲み子とは思えぬほどの形相に、地主は恐ろしくなりその場に捨て置いて走り去った。この森には野犬や狸が出る。食われてしまえばいい。
息を切らして家に逃げ帰ると、家には明かりが灯りなにやら騒がしい。引き戸を開け中に入ると、娘が赤ん坊がいないと騒いでいた。
「いないよぅ、あたしの子供がいないよぅ!」
母親は「あの子は死んでしまった」とか「里子に出した」とか、あらん限りの言い訳をならべて娘を宥めていた。
「あ、あんた。どうにかしてよ」
「どうにかったって、おまえ。あれはもう、森に」
「殺したのかい?」声をひそめる。
できなかった、と首を振った。
「あたしの子、あたしの子がいないよぅ」
地主ははだけた寝巻き姿の娘の肩を揺さぶり言った。
「いいか。あれはおまえの子じゃねぇ。あれのおっかさんに返したんだ。もうここにはいねぇんだ」
娘はひっと喉を引きつらせると、父親に掴みかかった。あたしの子だよ、あたしが生んだ子だよ!あたしの、あたしの、あたしの!!
そのまま腕を振り切り、外に飛び出して行った。地主は慌てて追いかけ、妻は寝ている下男と手伝いの娘をたたき起こして娘を探せと命じた。
だが、朝になっても娘は見つからなかった。
娘が無残な姿で見つかったのは、それから三日後のことだ。
森の中で、獣にかみ殺されていた。
そして不思議なことに、そのすぐそばにあの赤ん坊が無傷のまま眠っていた。三日もの間、獣にも襲われず水さえも飲まず、なぜ。
恐ろしくなった地主は、その赤ん坊を連れて帰った。
再びこの子を捨てるような真似をしたら祟られるのではないかと恐れたのだ。妻はそんな赤ん坊は見るのも嫌だと拒み、一人娘を失ったことを嘆き暮らした。
赤ん坊は村の寺の近くに小屋を建て、そこで育てることにした。日に一度手伝いの娘に様子を見に行かせたが、雨だろうが雪だろうが小屋から出さなかった。
死んでしまえば有難い。殺すのではないのだ、寿命ならば仕方がないと自分に言い聞かせた。
「旦那さん、あの赤ん坊お乳もやってないのに今日も元気だったよ」
手伝いの娘はそう言って毎日報告をする。
「あれは本当にヒトの子かねぇ、旦那さん。あたい、なんかおっかねぇよ。化け物の子じゃねぇのかねぇ」
「そんな馬鹿な話があるか。誰か村の女が勝手に世話してるに違いねぇ」
地主は手伝いの言葉を否定しながらも薄ら寒さを感じていた。こうなれば、やはり自分が息の根を止めるしかない。地主はまだ陽も高いうちにその小屋へ向かった。手には竹筒に入れた水。懐に障子紙。濡らした障子紙で息を止めようと思った。直接手で塞ぐわけではない。少しでも罪悪感が薄れた。
小屋の扉を開けると赤ん坊はすやすやと眠っていた。手伝いの言うとおり、やつれた様子は微塵もない。
「おまえはどうにも気味の悪いがきだ。おまえのせいでうちの娘は死んだんだ」
ごくりと喉を鳴らし、紙を水で充分に濡らすとそっと小さな顔に被せようと……。
「う、うわぁっ」
眠っていた赤ん坊はいつの間にか目を覚まし、いつかのように見開いた目で地主をじっと見つめていた。そして、にんまりと笑っていたのである。