第三章-2
「言っておくけど、途中のどこかで新しいパンツを買って穿いたりしちゃだめだよ。そんなことをしたら、もうお前を見捨てるわよ。数学のお勉強もおしまいにして、お前とは一切口も利いてやらないからね」
「わかりました。でも、あのう」
「何だ?」
「途中で痴漢にでも遭ったらどうします?」
「痴漢か。うん、それ、最高のオプションだね。なるべく痴漢に遭いやすい車両の、痴漢に遭いやすい場所に乗りな。一番混んだ車両のドア付近とかね」
「そんなあ」
「もちろん痴漢に遭っても逃げたりなんかしないで、むしろ痴漢しやすいように体の向きを変えてやるんだ。そして痴漢の耳元で艶めかしくささやくんだ。『もっとやって』てね。さあ、途中までいっしょに帰ろう」
私たちは教室を出て、学校を後にし、婁山関路駅から地下鉄二号線に乗った。そして中山公園駅で泉美と別れて一人で下りた。
それから例の長い階段。私はドキドキしながら一段ずつゆっくりと上った。見られたか見られなかったかはわからない。いや、おそらく何人かは気づいただろう。しかし特に問題は起こらずに、三号線と四号線のホームまで行くことができた。ほっとひと息。
三号線でも四号線でもどちらでもいいのだが、四号線の電車の方が先に来たのでそちらに乗った。そして上海体育館駅で一号線に乗り換えて終点の莘荘まで行く。ここから五号線に乗るのだが、当時は五号線は莘荘が始発駅で、莘荘から閔行方面に伸びていた。
始発駅だから座ろうと思えば座れた。しかし私は敢えて座らなかった。ひとつには、座ると向かい側の席の人から確実にスカートの中が見られるからだった。そしてもうひとつには、なるべく痴漢されやすい所に乗れという泉美の命令があったからである。この電車は混んでくると、ドア付近が一番混雑する。私はそのあたりに立った。
ところが幸か不幸か、この日は痴漢には遭わずに江川路駅まで帰れた。もっとも、もし私のスカートの中に手を入れてくる痴漢がいたとすれば、その痴漢の方が驚いていたであろうが。
そして歩いてすぐの蘭坪路の自宅に帰った。自宅に着くと私はすぐに泉美のスマホに電話した。
「今、うちに帰りました」
「そうか。途中でパンツを買って穿いたりなんかしなかっただろうな」
「はい、もちろんそんなことはしていません。ノーパンのままで帰りました」
「それはよくやった。ほめてやろう」
「それで、もうパンツを穿いてもいいですか」
「そうだなあ。家では家族の目もあるから仕方ないなあ。でもなあ、ううむ、古くて汚くてもう捨てたいようなパンツはあるか?」
「そうですねえ、あ、そう言えば、そんなのが一枚あります」
「じゃ、今日はそれを穿け」
「わかりました」
「今日預かった二枚のパンツは明日学校でちゃんと返してやるから。ふむ、それにしても私はお前の飼い主として、お前がどんな服や下着を持っているか詳しく把握しておく必要があるなあ。うん、中間試験の最終日の午後、空いてる?」
五月下旬に行われる一学期の中間試験のことだ。試験は午前中で終わる。
「はい、午後は空いています」
「じゃ、お前の家にお邪魔させてもらうよ」
「数学のお勉強ですか!」
私は我知らず目を輝かせて尋ねた。泉美は苦笑した。
「まあ、まあ、気持ちはわかるけどそんなに喜んだ声を出すなよ。家では家族がいるから数学のお勉強は無理だろう。その日はお前が所持している衣服や下着をしっかり把握するために行くんだよ」
「どうしてそんなことを?」
「お前の服装を管理するためだ。今後お前の服装と髪型は私が管理する。お前に服装と髪型の自由は与えない」
「そんなあ。それじゃ、何のために桃園女学院に来たのかわかりませんよ。私は桃園女学院の、制服のない自由な校風に憧れて来たんですよ」
「本当にそうか」
「はい」
「この自由な校風を虚しく感じたことは一度もないか」
「うっ!」
私は答えに詰まった。ないとは言えなかった。自由な校風を虚しく感じ、もっと管理されたいと思い、気が動転して、夜遅くだったにもかかわらず北見美鈴にメールを送ったこともあった。
「そうだろう、彩香。お前は真性マゾヒストなんだ。うわべでは現代の風潮に乗って自由だの民主主義だのを求めているかも知れないが、ひと皮剝けば、奴隷や家畜のように管理されること、支配されること、命令されること、拘束されることを欲しているんだ。お前自身、もう気づいてるんじゃないのか」
「そうですねえ」
私は泉美の言うことを否定できず、服装と髪型の自由を放棄して、すべて泉美の管理に委ねることにした。