N.-9
「おー陽向」
「ごめん、遅くなって」
スタジオに入り、みんなに謝る。
今日はすごく忙しかったため、練習に遅刻してしまった。
「いーって。つーかさ、今度行くの栃木じゃん?」
「牧場行きたーい!」
洋平がはしゃぐ。
「女子かよお前は」
「いーじゃん牧場!あたしも行きたい!」
「なんだお前ら。旅行じゃねーんだぞ」
「あたし次の日も休みもらったから観光できるよ!」
「え!陽向それマジ?!」
洋平のテンションがブチ上がる。
「だーかーらー、旅行じゃねーって…」
「牛乳ソフト食べよーよー!」
「いーねいーね!」
海斗が横でクスクス笑う。
「わかったわかった。よしっ…じゃ入りからやって、中飛ばしてラスト行って、とりあえずMCまでの最初の3曲通すか」
大介の聴き慣れたカウントから洋平が入る。
マイクを握る。
このライブが終わるまで、あたしはあたしらしくいたい。
10公演目までは怒涛の日々だった。
毎週末にライブをし、栃木、静岡に行き、渋谷のライブハウスでファイナルを迎えたのは10月も終わる頃だった。
大介が「カホン入れた曲やろう!」と意気込んでいて、最後にそれを演った。
大人しくて焚き火の前でやってるような曲だったけど、観に来てくれた人たちと同じ空間にいれて、それでいて特別な、本当に忘れられない時間になった。
みんなには、そろそろ言わなくちゃと思っていた。
お腹はだいぶ目立ってきているけど、スカートやこの季節は着込むことを理由にして、やり過ごせていた。
つもりだった。
「陽向」
ライブハウスから出てすぐ、大介に腕を掴まれた。
「来い」
洋平と海斗はお客さんと楽しそうに話している。
その笑い声を遠くで聞きながら裏口から出る。
「大介…」
「俺らになんか言わなきゃいけねーこと、あんじゃねーの?」
大介の顔は真剣だった。
そして、泣きそうな子供のような目をしていた。
「……」
「陽向。言ってよ。俺らの将来に関わる……」
その言葉を聞いて冷静になる。
「将来って…」
「バンドとして、どう在りたいかだ。正直言うと、俺らは…俺は、お前とずっとバンドやってたいって心から思ってる。ずっと、年を重ねて、死ぬまでお前とバンドメンバーとして生きていきたい。だから、この10公演は大事なものだったんだ」
何を言わんとしているのか、なんとなく、分かった気がした。
きっと否定的な思いでしかない。
陽向は何も言わずに俯いた。
「隠し事はもうおしまいだ」
「……」
「陽向。言ってくれよ…」
「…大介は、あたしが本当のこと言ってどう思うの」
「……」
「もうこのバンドはおしまいだ、音楽は永遠にできない、売れもしない…こんな大事な時にふざけんなって思ってるんでしょ?!」
涙は出なかった。
気付いたら大介を壁に押し付けていた。
大介は何も言わずに、一点を見つめていた。
「お前とならやってけると思ったよ。だからこのツアー的なのもやった。結果、大成功だったしほんの僅かだけど世間には名は知れたよ」
「でも…」と大介は続けた。
「俺が欲しいのは世の中の声じゃないし、ありきたりな評価じゃない」
「……」
「大好きな仲間と大好きな音が出せるだけで幸せなんだ。この10回のライブが本当に楽しかった。知らない土地であんなに盛り上がってもらえるなんて思ってなかった…俺らの音楽で。海斗のベースも、洋平のギターも、陽向の歌だって、全部捨てきれない、俺らだけのものなんだよ。それを諦めてたまるかって思って全国回った。でも、成功したからなんだよって思っちゃうんだよね」
陽向は黙った。
大介の言いたいことがまるで分からない。
「俺らの夢はさ、ずっと好きな音楽をやり続けることだろ?俺はそう思ってる。何にも縛られたくない。この10ヶ所周る中で、俺らイケんじゃねーかって思った事は何度もあった。だけど、それは俺だけの妄想でお前らに押し付けるもんじゃないと思ったんだよね。ってゆーのも、超旅行感覚だったし」
大介のギャグに笑みが零れてしまい、「ごめん」と腕を下ろす。
「きっと売れたい路線でやってっても軌道に乗ればやってけんだろーなって思ったよ。でも、流行りとか、そーゆーの考えたらギスギスした空間になるんだろうって思った。俺らがやりたいのはそーゆーんじゃねーし、だったら今のスタイルが一番合ってると思ってさ…」
「……」
「だから、今まで通り自由に気ままに、楽しく音を出そう。このHi wayはお前が何より大事な人なんだから」
大介は優しく笑った。
「無理してた?」
「…え?」
「無理してたんだろ。辛かったんだろ、毎回のライブ。楽しそうにしてたし練習も休まねーし」
「……」
「陽向に子供出来たって分かってた。…今更ゴメンとか言うのナシだからな」
なんで知ってるの……。
そう言いたいが、大介と目を合わせることが出来ない。
「明日」
大介は陽向の頭を撫でた。
「みんなで水天宮に行こう」
足元から冷たい何かがこみ上げてくる。
何で知ってるの?
そんな思いが全身を駆け巡る。
いい事言ったつもりかもしれないけど、あたしはみんなに迷惑かけないように、ひたすらに隠してここまでやってきたのに……。
最低だ。
みんなにずっと気を遣わせていたんだ。