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真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

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拾捌-3

 早喜は膣襞の一筋一筋が悦んでいることを知り、総身に鳥肌が立っていることが分かった。愛しい男の体温に触れ、体重を受け、子宮口は亀頭の衝突を激しく浴びている。これが、たまらなかった。いつまでもいつまでもこうしていたかった。
 しかし、相手は射精に向けて、突き入れに力感を籠めてきた。
 早喜も煽られ、絶頂への登り坂を急速に駆け上がる。思わず叫ぶ。

 幸村が吐精する寸前、肉竿を呑み込むような動きを膣が示した。
 早喜の身体は快味の決壊を起こし女陰が強く収縮した。
 魔羅を絞られ、幸村はドォッと精を放つ。
 早喜は熱い迸りを膣奥に感じ、さらに間欠的な膣の収縮を繰り返す。
 しごき取るがごとき膣肉の動きにより幸村はありったけの精を絞り出した。
 早喜の総身の筋肉が収斂し、全身がブルブル震えた。そして…………、
 早喜は蕩(とろ)けた。
 早喜の表情から緊迫が去り、春の陽光が当たったように穏やかなものとなった。
 幸村も大いなる射精の後の気怠さに包まれ、早喜の穏やかさに溶け込んでいった……。

 気がつくと、幸村は早喜に覆いかぶさっており、相手は寝息を立てていた。
 どうやら彼も重なったまま眠っていたようだった。
 身を起こすと、べつに疲れはなく、むしろ清新な活力が身体の芯に宿っているような感じであった。
 ややあって、早喜も目を開け、気恥ずかしげに微笑んだ。そんな娘に幸村は優しく語りかけた。

「ご苦労であった。良き伽であったぞ」

そして、おもむろに壁際の櫃(ひつ)に近づき、手のひら大の金属片を取りだした。

「早喜、これをおまえに与える」

見ると、六文銭の意匠が施された前立(まえだて:兜の前面に付ける装飾物。殴打された時、頭部に衝撃が伝わらないように、壊れたり外れるようになっている)だった。

「これは、昔の戦の折、兜から取れたものじゃ」

「かような大事な物、もらえませぬ」

「いや、いいのじゃ。今日は真新しい前立を兜に付けて戦に臨む。これはおまえに持っていてもらいたい」

手ずから前立を渡され、早喜はそれを押し戴いた。

「束の間ではあったが快く眠ることが出来た。これで存分に戦える。……早喜のおかげじゃな。あらためて礼を申す」

早喜は前立を捧げたまま、恐懼感激ひとしおだった。


 その頃、応神天皇陵の東を流れる石川のほとり、葦の生い茂る中にぽつんと建つ小屋で山楝蛇と高坂八魔多が互いに苦い顔をしていた。

「八魔多ともあろうものが半死半生じゃのう」

山楝蛇の言葉に、八魔多は唇をねじ曲げて言い返す。

「お婆も片脚を失ったようだの。これからは躄(いざり)暮らし。さぞかし不便だろうなあ」

「なあに、杖があれば動けるわい。……それよりおぬし、毒にやられたようじゃな」

「ああ……。さすがの俺様も終わりかと思ったが、髷を結う紐に毒消しを染み込ませていたのを思い出してな、それをほどいて必死に噛んだ。毒消しを唾液に溶け込ませて呑み込んだ」

「おかげで何とか九死に一生を得た、というわけじゃな。わしにはおぬしの死が見えておったが、それが外れたとなると、どうやらこの婆も隠居せねばならぬようじゃなあ」

ヒヒヒと笑う山楝蛇に八魔多は、『隠居だと? そんな気などさらさらないだろう』という目付きをしてみせた。

「しかし八魔多よ。今日の戦は大掛かりなものとなりそうじゃ。混戦にもなるじゃろう。わしは家康本陣に潜み、万が一の時のために気を溜めておく。おぬしはいかがする?」

「俺様は幸村の首を獲る。あやつの手下に苦杯を嘗めさせられたんだ。その仕返しをせねば気が治まらん」

「しかしその身体では戦場に出るなど……」

「ここでお婆の秘薬の出番だろう。速効で気力・体力が蘇るやつを頼むぜ」

「その薬、あるにはあるが、口がひん曲がるほど苦いぞ。吐瀉するほど猛烈に臭いぞ」

「そんなの我慢する。さあ、とっとと出してくれ」

八魔多に手を突き出され、山楝蛇は立ち上がるため、そばにあった杖を引き寄せた。


 五月七日、巳(み)の刻(午前十時頃)。豊臣方、徳川方、双方の総力が対峙した。
 茶臼山に真田幸村勢八千、その東、四天王寺南門前に毛利勝永勢と木村重成・後藤基次の残兵六千五百。茶臼山北西の木津川堤防沿いに別働隊明石全登勢三百。岡山方面は大野治房ら四千六百。全軍の後詰として四天王寺北東の後方に大野治長、七手組の部隊一万四千。他に大坂城の北に長宗我部盛親ら三千三百、城内に三千。豊臣方は総勢約四万であった。
 対する徳川方は、茶臼山方面に大和路勢三万五千と浅野長晟勢五千、松平忠直勢一万五千。四天王寺方面に先鋒として本多忠朝ら五千五百、二番手に榊原康勝ら五千四百、三番手に酒井家次ら五千三百、その後方に徳川家康の本陣一万五千、さらに徳川義直ら一万五千が本陣後備として布陣。岡山方面は先鋒として前田利常ら二万、二番手に井伊直孝、藤堂高虎ら七千五百、その後方に徳川秀忠の本陣二万三千。総勢約十五万。じつに豊臣方の三倍半以上の兵力であった。


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