〜 保健・競技 〜-1
〜 2番の保健 ・ 競技 〜
懐古趣味はありません。 昔は昔、今は今です。
『勝つための最善の努力は、どんなときも止めてはならない』
野球選手、王貞治選手の言葉です。 厳しいですよね。 誰よりも自分に対して。
『人生で何度も何度も失敗しました。 それが成功の理由です』
ミスターバスケットマン、マイケル・ジョーダン選手です。 9000回以上シュートを外し、300試合に負け、26回もウィニングショットを失敗したからこそ、言葉の1つ1つに重みがあります。 勇気づけられます。
『本当の勝敗は、試合の直後ではなくその後の人生で決まるのではないでしょうか』
サッカープレイヤー、ジネディーヌ・ジダン選手が語ったものです。 刹那の感情に身を任せることが如何に安易か痛感させてくれます。
これらの素晴らしい言葉は、女性が僭越にも殿方と同列で競技に参加しようと試みた時代に為されました。 旧世紀の一面として噛みしめつつ、それはそれ、これはこれです。 現代と旧世紀はスポーツの持つ意味が全く違っていますから、現代と旧世紀のスポーツを比較し、相違点を再確認することには意味がありましょう。 競技の主体は殿方から牝に移行しています。 スポーツがもつ鑑賞、娯楽的側面は、殿方よりも牝こそ担うに相応しいものです。 殿方は自身の健康保持のため、牝は身体能力向上と自己認識の増進のため、スポーツに取り組むようになりました。
違いを具体的に列挙するならば、まず、様式の変化が挙げられます。
例えば『棒高跳び』です。 長い棒を運河の底に突き立て、登りながら運河を飛び越える。 この儀式から発祥した『棒高跳び』は、グラスファイバー製の『しなる』棒で高所のバーを飛び越えるスタイルを経て、伸縮性のエボナイト棒を股間で支えながら跳躍する現代スタイルに変わりました。
『跳馬』は、乗馬訓練用の木馬に飛び乗ることが発祥です。 それが助走とマットと台座を利用して空中で演技するスタイルを経て、『演技役』の女性が『馬役』の女性の顔に跨るというスタイルになりました。
こういった変化には器具の進歩や着眼点の移行などの要因があります。 スポーツは必ずしも保守的である必要はなく、伝統面の保持と同様、ルールにのっとってよりよいものへ変えてゆく変化もまた大切です。
次に、公平性についてです。 旧世紀に頻発した審判反抗(倫敦五輪・女子フェンシング・南朝鮮選手の寝そべり抗議など)、不正行為(モントリオール五輪・女子競泳・チームでドーピング)は全て解消されました。 現代スポーツは公平かつ公正になったといえます。
薬物使用やステロイドといったドーピング違反規定の適用は厳格になりました。 そもそも殿方は卑劣な行いとは縁遠いですし、女性の薬物使用自体難しいため、ドーピングの可能性は低いです。 けれども念には念を入れ、大きな大会では全出場選手に薬物調査など各種チェックが入ります。
各種反則行為(陸上競技のフライング、ボクシングのバッティング、柔道の片襟etc)は一発退場です。 VTRによるチェックが徹底できるようになり、違反の件数はゼロになりました。 なお、審判の判定は絶対です。 選手が審判の判定に異議を申し立てることは認められません。 だから、実際は違反の数がゼロというより、異議の数がゼロなだけなんですが……それでも機械化された判定基準の前で違反が出来るとも思えませんし、きっと本当にゼロなんだと思います。
性差によるハンディや、男女混合種目はなくなっています。 身体能力の差を考慮してつくられたという『男女別種目制』、つまり同一種目でも男子枠と女子枠を作るという制度は、現代には取り入れられませんでした。 陸上競技の華・100メートル走であれば、男子も女子も同一レーンに並びます。 ただし殿方はスポーツ競技に参加を見合わせる傾向があり、出場者に占める殿方の割合は0.01〜0.05%しかなく、ほぼ全参加者が女子となっています。