拾伍-3
『国姉、ごめん』薄れゆく意識の中、宇乃はお国に詫びた。『敵(かたき)を討てなかったよ。…………ごめん』
そして、物音を聞きつけて小太郎が部屋に入ってきた時には、絞殺された宇乃の身体が床に、無残に転がっていた。八魔多は毒針を刺された左腕をだらりと下げ、小太郎に毒消しを持ってくるよう言いつけた……。
宇乃の死は、大坂城の近くへその遺体がうち捨てられていたことで真田の面々に伝わった。素っ裸の宇乃、その首には栗の毬(いが)が一つくくり付けられていた。
「毬……、いが……」幸村は首から外しながらつぶやいた。「いが……、伊賀……。おそらくこれは『伊賀者のしわざである』ということを示しているのであろう」
「伊賀者……。高坂八魔多か!」
千夜は宇乃の亡骸に布を掛けてやりながら唇を噛んだ。
父親の海野六郎は悲憤の極みで打ち震え、早喜ら傀儡女たちは涙にくれた。幸村は沈痛な面持ちで遺骸を丁重に荼毘に付するよう命じる。その目には、家康への敵愾心の炎が、あらためて宿っていた。
和議は結んだものの、戦が完全に終息したと思う者はいなかった。
大坂方では新たに牢人を雇い入れ、またもや城は十万余の兵で溢れかえった。その噂を聞きつけた家康は牢人衆の追放か、豊臣秀頼の大和(今の奈良県あたり)への国替えの二者択一を迫ってきた。そのどちらも呑むことの出来ない大坂方は、家康の命(めい)を完全に無視した。
そこで、四月に入り、家康は居城の駿府を発し、味方の諸大名にまたもや出陣を命じた。息子の秀頼も江戸を立ち西へ向かう。
二の丸、三の丸を埋め立てられ、籠城が無理となった大坂方は野戦に懸けるしかなかったが、大坂城には八魔多配下の伊賀者が新規雇い入れの牢人などに扮し数多く入り込んでいたため、城内の動きは徳川方にほとんど漏れていた。
それだけではない。四月九日には大坂方の委細を知る織田有楽斎が城から遁走してしまった。さらに悪いことには、同日深夜、城から自邸に戻る途中の大野治長が闇討ちに遭い傷を負ったのだ。
座しているばかりでは徳川方の策謀に苛まれるばかり。至急軍議が開かれ、負傷した身体を押して治長も出席した。
幸村は冬の陣の時と同じように、京へ攻め入り、秀頼を入洛させるよう説いたが、治長ら譜代の戦知らずたちは大坂城に籠もることに固執するばかり。後藤又兵衛や長宗我部盛親、毛利勝永らが近江方面へ出て野戦を行うべしと力説するも、それは聞き入れられない。
結局、攻め寄せる徳川方を引き付け、城から五里を越えぬところで戦うということになってしまった。
翌日、幸村は己の陣営に後藤又兵衛を招き、二人だけで語り合う機会を設けた。
「我らの意見が通らず、何とも情けない話になってしまったが……」又兵衛は顔をしかめた。「さらに情けないことには、せっかく雇い入れた兵がどんどん城から出て行っておるというではないか」
幸村は昼から酒というわけにもゆかぬので桜湯で又兵衛をもてなした。
「婚儀の場でもないが、桜湯で喉をお湿しくだされ。……城の兵が減っているのは、家康の策略のせいじゃ。今度の戦では城兵を一人残さず殺してしまい、首をことごとく晒すという流言を蒔いておる。惰弱な牢人どもは恐れをなし、一人、二人と城から抜け出て、その歯止めがきかぬようになってしまっておるのじゃ」
「兵はいかほどになろうか?」
「おそらく、雇い入れた半分の五万ほどになるであろう」
「まあ、覚悟のない兵の混じった十万よりは、気骨ある者だけの五万。このほうが実際、戦いやすいがな……」
「徳川方は十二万とも十五万ともいうが、戦いようでは五万でも何とか太刀打ちできるやも知れぬ」
「それは戦巧者の幸村どのが全軍の指揮を執れればの話。大野治長、その弟の治房はじめ譜代の臣。あやつらは貴公の下風には到底立つまい」
「まあ、何かとやりづらい戦ではあるが、せめて、わしと又兵衛どのは手を携えて戦いたいものじゃのう」
「おう。そういたそう。ここを死に所と、共に力を振り絞ろう。……しかし」又兵衛は桜湯を啜り、嘆息を漏らした。「桜花のごとく潔く散るはたやすきことなれど、せめて家康に一矢報いたいものじゃのう」
「一矢と申すが、その一矢が致命的なものとなれば、この戦、形勢が変わるやもしれぬ」
「そうかもしれぬのう……」
二人の話はまだ続いたが、日も傾き、又兵衛は幸村の陣を辞して外に出た。そこで、ふと、久乃と出くわした。
「おや、これはこれは、お久。息災であったか」
「又兵衛様……」
「先ほどまで幸村どのと話しておったが、やがてここは血生臭き戦場となる。今のうちに城から遠く逃れよ」
「逃れるだなどと……。そのようなことは出来ませぬ」
「見かけによらず気丈なおなごじゃのう」
「気丈では……ございませぬ」
久乃はうつむきながら上目遣いで又兵衛を見た。
「ところでお久。……わしは次の戦で死ぬことになるであろう」
「えっ?」
「そこでじゃ。今生の名残に、お久の柔肌を、この手に、しっかと覚えさせておきたい」
そう言われ、久乃は絶句した。「死ぬだなどと、そのような馬鹿げたことは口にしないでくださいまし」と言おうとしたが、思いもかけずに涙腺が緩んだ。
「ん? いかがいたした?」
又兵衛の大きな手が肩に置かれたが、久乃は落涙する自分をどうしようもなかった。