拾肆-2
いっぽう、豊臣方はちんたらしたものである。そこで家康はお為ごかしを言った。
「当方では約定どおり作業を済ませたが、城方では一向にはかどらぬご様子。そちらが済まぬうちは遠国よりまかり出でたる大名たちが帰国できずに難儀しておるゆえ、城方の手伝いをばさせたい。よろしいな?」
豊臣方の返答も待たず諸大名に指示を出し、二の丸・三の丸の打ち壊しに加勢させた。それらの人夫たちは石垣を崩す他に濠の埋め立ても行ったので、大野治長は慌てて抗議したが、家康はのらりくらりとそれを躱(かわ)し、ついに大坂城は本丸だけを残した哀れな姿と成り果てたのだった。
惣構えを破却された時、真田の娼家「禄紋」も壊された。
千夜は瓦礫と化した禄紋を背に、傀儡女たちに言い聞かせた。
「城は裸同然にされ、もはや籠城策では徳川方に抗すること及ばず。次の合戦では野戦となろう。さすれば兵は鉄砲の弾を浴びる度合いが増す。戦場にて采を採られる殿も弾の唸りの中に身を晒す」
「殿は後方にて戦の指示をするのではありませぬか?」
久乃の言葉に千夜は首を横に振った。
「我が殿は安全な場所に身を置いたまま指揮するようなお方ではない。陣頭に立ちて采配を揮われる。ゆえに被弾するおそれは多分にある」
「殿がお怪我なされ、それが深手だったなら……」
早喜の顔が青ざめた。
「そこでじゃ」千夜は早喜たちを眺め回してから瞑目した。そして、かっと目を見開き、凜とした声で続けた。「次なる戦の折、殿が弾の餌食にならぬよう、真田忍びの禁断の秘術を施す」
「禁断の秘術……」
沙笑のつぶやきに皆の同じつぶやきが続いた。
「その秘術とは『影負ひ』と申す」
「して、『影負ひ』とはいかなる術でございますか?」
久乃の問いに対し、千夜は「それは殿の身を庇(かば)う手立てになる術で……」と、おもむろに答え始めたが、言葉が進むうちに、傀儡女たちの顔に緊張が走り、身体が強張っていった……。
二の丸、三の丸取り壊しの後始末で大坂城周辺はなおもざわついていた。そうした折、傀儡女に異変が起こった。宇乃の姿が忽然と消えたのである。
仲間の娘たちは手分けしてあたりを捜し、父親の海野六郎も周囲を聞いて回ったが宇乃のゆくえは知れなかった。
「まさか、千夜様の秘術に恐れをなして逃げたなんてことは……」
そう言う伊代の頭を稀代が小突いた。
「滅多なこと言うんじゃないよ。宇乃がそんなことするものか」
「では、いったいどこへ……」
「もしかすると」千夜が苦々しく言った。「伊賀者が宇乃を連れ去ったのかも知れぬ……」
それは的を射ていた。城打ち壊しから引き上げる大勢が騒ぎ立てる中、高坂八魔多の手の者が宇乃を拉致していたのである。
大坂城を遠くに見る陣屋の一つ。そこで伊賀者の統領は、高手小手に縛り上げられ猿ぐつわをかまされた宇乃を値踏みするような目付きで見ていた。
「どこぞで見たことがあるな、この娘」
八魔多のつぶやきに、配下の一人が答えた。
「七年ほど前、江戸城にて出雲のお国が興行を執り行い、その折に家康公の命が狙われる騒動がありましたが、そこにいた踊り子の一人にございます。宇乃と申すそうで当時の面影が残っておりましたれば、禄紋にいた娘らの中からこやつを拉致した次第」
「ああ、そうか。お龍の道場に連れて行った女どもの一人だな。あの時は襲撃をくらい、お国の口から家康殺しを企んだ黒幕を聞き出すこと適わなかったが、今になって、よーく分かる。荷担していたのは真田だったとな」八魔多は宇乃に顔を近づけ、感心したような口調で続けた。「真田の統領は大した男じゃ。家康を直接殺すことは出来ぬまでも、こたびの戦で徳川方に苦渋を味わわせた。それも、こっぴどくな」
笑みと怒気の双方を孕んだ目付きの八魔多を前に、宇乃は相手を睨みすえていた。
『こいつは国姉(ねえ)をさんざんいたぶり、挙げ句の果てに死に追いやった男。そんなやつに捕まってしまうとは……』
きつい眼差しを受け、八魔多は笑いに口をゆがめた。
「いい目だ。こんな目をした女こそ、善がり狂わせ、俺様の木偶(でく)に仕立て上げるにふさわしい。……小太郎はまだ戻らぬか?」
八魔多に聞かれた配下は、一両日中には江戸から戻るだろうと答えた。
「そうか。淫薬が届き次第、この女に俺様の宝刀を見舞ってやる。それまでは軟禁しておけ」
歩み去る八魔多の背に、宇乃の射るような視線がまだ向けられていた。
大坂城を本丸だけの姿にし、豊臣方の守る力を大幅に削ぎ落とした家康は、秀頼の人材減らしにも意を注いだ。幸村に十万石で寝返るよう働きかけたのである。真田丸の攻防で名を上げた英傑が誘いを断ると、今度は信濃一国五十万石を与えると家康は言った。が、幸村はそれをもはねつけた。
「高禄に目がくらみ、徳川家へ寝返るなどもってのほか。父祖の代より争ってきた家康は不倶戴天の敵。あやつの臣下には死んでもならん!」
かように高潔な幸村であったが、真田丸での活躍があまりにも評判になり、秀頼の覚えもすこぶるめでたいため、豊臣譜代の臣の中には幸村を面白く思わぬ者が数多おり、新参の将にも嫉妬する者が少なからずいた。