慰めあう女-8
椿は取り出した純白の晒し布を左肩にかけて下の部分を股間に当てた。
そして股座をくぐらせると、両手できりきりと丹念に布を捻り上げてゆく。
よく捻られた布を腰に回して横褌を作り、腰の後ろで軽くからめて止めると、今度は肩にかけてあった一方を下ろしてそちらも股をくぐらせる。
ぐいぐいと締め上げながら余った部分を捻り合わせてからませると凛々しい六尺褌が出来上がった。
女ながらも毎日のように締めているだけあって手馴れたものだ。
次にもう一枚の晒し布を取り出して胸乳に巻きつけ、膨らみを押さえつける。
経帷子をはおって帯を締め、さらに着物を着て、裃と袴を身につけると死装束である。
そのあまりの美しさに、大二郎は息を呑んで見つめている。
「ささ、大二郎殿。貴殿も介錯のご用意を。私はもういつでも腹を切れます」
「ううう…。椿殿…」
大二郎は泣きながら、刀を取ってよろよろと立ち上がった。
椿は短刀を置いた三方を前に正座をすると、短冊と筆を取って辞世の句をすらすらと書き始める。
このような句であった。
『浅ましき 女の業に見切りつけ 今は男と散る我が身かな』
書き終えると懐紙で短刀を掴み、着物の胸をぐっとはだける。
静かに目を閉じ、腹の辺りを何度もさする椿。静かに呼吸を整えていく。
その脳裏には愛しい二人の面影がよぎる。
(父上…。先立つ不幸をお許し下さい…。お京…。いつまでもお幸せに…。私は貴女をいつまでも想っています…)
「むんっ!!」
今まさに己の腹に刀を突き立てんと、気合を発したその時であった。
ドタドタドタ…!!
「待ちなさい!! この馬鹿者が〜っ!!!」
道場に乗り込んできた藤兵衛の怒声が響き渡る。
「はっ!!」
椿は急いで刀を突き立てようとした。
しかし藤兵衛が懐から取り出して投げた煙管の方が早かった。
びんっ!
「ううっ!!」
煙管が当たった手首に鋭い痛みが走り、思わず刀を落とす。
はっと気がつくと藤兵衛が脇に立っていた。
「馬鹿者っ!!」
ばしっ!!
平手打ちが頬で鳴った。赤くなった頬に手を当て泣き崩れる椿。
「うううう…っ」
「こりゃ椿っ!! 早まった事を考えるでない!! 死んで花実が咲くものか!! 一人娘のお前に死なれて、沼田様がお喜びになると思うたか!!」
「うううう〜…。うわぁぁぁぁ〜ん!!」
「世迷言にいちいち付き合う大二郎も大二郎じゃ!! 惚れた女なら何故止めぬ!! 何故、自分が命をかけて幸せにする、一生かけて添い遂げると言ってやらんのじゃ!! この馬鹿息子が〜っ!!」
「うおおおお――――ッッッ!!!」
熱い言葉に大二郎も感極まって巨体を震わせて号泣する。
「よしよし。分かればそれで良い。良いのじゃ、二人共…」
そう語りかけて二人を抱きしめる藤兵衛の目にも、いつしか涙が光っていた。
数日後。
秋山親子は老中・沼田義興の屋敷へと招かれた。
用人・草津善太夫に出迎えられ奥座敷に通されると、そこに沼田が待っていた。
娘姿の椿が脇に控えている。豪華な膳もあつらえてあった。
大二郎は娘姿の椿を見てひどく緊張している。
「これは秋山殿。よく来てくださった。本日は大事な相談があるゆえお呼びしたのじゃ。まずは一献」
沼田自らが盃を取り、藤兵衛に勧める。
「いや、これはかたじけない」
藤兵衛が盃を受けた。
沼田と藤兵衛の間で和やかに話がはずみ、酒の弱い大二郎は黙々と食べ続ける。
椿は俯いたまま、殆ど箸をつけない。
半刻ほど経った頃であろうか。沼田が突如、下座に下って藤兵衛に向かって両手をついた。
「秋山殿! 御子息・大二郎殿に我が娘・椿をもらっていただけまいか?! お頼み申す!! この通り!!」
沼田は畳に額を擦りつけた。
椿の縁談がことごとく破談になったという噂は藤兵衛も聞いている。
嫁の貰い手がなくなった愛娘の行く末を案じていたところに、先日の切腹騒動の話を耳に入れた沼田が、藁にもすがる思いで考えた縁談であった。
ここまでされれば、
(よもや断ることはあるまい…)
という計算も垣間見えた。さすが古狸である。藤兵衛は感心した。
「この義興も老中職にある限り、いつ何時、どのような変事に見舞われないとも限らぬ! 今のうちに娘の将来を安んじておきたいのじゃ!」
「………………」
突然の申し出に赤面して何も言えない大二郎。
「こりゃ粗忽者! 沼田様がここまで仰って下さるのじゃ!! 謹んでお受けせぬか!!」
「は、はいっ!!」
「不肖・秋山藤兵衛、二人に成り代わり、謹んでお受け仕る。もし嫌だと申さば、両人を土蔵に閉じ込めて和合するまで外に出しませぬ!!」
「…しかとさようか?」
沼田がようやく顔を上げて微笑んだ。その目には涙が光る。
「いや、かたじけない。かたじけない…」
椿が凌辱されたことは不運なことであったが、それが原因で夫婦になれたのだから大二郎にとっては幸運とも言えた。
もし椿の身に何も起きず、二人の関係があのままであったなら、口下手であがり症の大二郎は一人で椿を口説くことなど到底出来なかっただろう。
これも『人間万事塞翁が馬』という諺の一例かもしれない。
二人の婚礼は、この年の十一月十五日に、沼田屋敷でひっそりと行われた。
出席者は沼田や草津用人ら沼田家の人間に加え、藤兵衛お夏夫妻と大川了順。
そして沼田の許しを得て、お京と豆岩の婚礼も同時に行われることとなった。
今回の事件で心と身体に大きな傷を負った椿とお京の新しい門出を祝う沼田の配慮である。
白無垢に綸子の小袖を着た二人の花嫁の美しさに見とれ、新郎である大二郎と豆岩はただただぼうっとしていた。
そしてこの二組の夫婦に幸せが訪れることを願い、皆が祝杯を重ねたのだった。