捕らわれたお京-1
椿が誘拐されてから一夜が明けた。
まんじりともせず朝を迎えた藤兵衛と大二郎であった。
昨日、深川の道場を飛び出した秋山親子は椿の行方を探し回り、京橋の名もない道場までは辿ることが出来た。
多分、夕刻になったので三田の小谷屋に戻ろうとしたのだろう。
椿はそこに至る道で拐かされたに違いないのだが、その先の行方は杳として知れなかった。
「あああっ! こうしている間にも…。椿殿が…椿殿が!!」
大二郎は叫んで頭をかきむしった。
どれほど考えまいとしても、捕らわれた椿の身に何が起きたのか想像を止めることが出来ない。
(大二郎殿! 助けてくださいまし! ああっ! 嫌ッッ!!!)
荒くれ男に捕らわれて縛り上げられる椿の姿が脳裏に浮かぶ。
椿を拉致したのは、女の股座を槍で突き刺して弄ぶような鬼畜どもである。
運が悪ければ同様の殺し方をされるか…。運が良くても拷問を受けたり、操を奪われたりするかもしれない。
そう思っただけで大二郎は食事も喉を通らず、一睡も出来なかったのだ。
憔悴しながらも徹夜明けの疲れ魔羅は下帯の中でどんどん大きく硬くなってしまう。
大二郎は己の下半身の節操の無さにもほとほと腹が立っていた。
「父上! 私は今日ほど己の無能さを感じたことはありませぬ!!」
「大二郎よ、落ち着くのじゃ。まだ打つ手はある。こうなったら椿殿の父御である沼田様のお屋敷に行き、奉行所に動いてもらうよう働きかけるのじゃ! 行くぞっ!」
藤兵衛はすっくと立ち上がった。
老中・沼田義興の屋敷は神田橋にある。
秋山親子は沼田の用人である草津善太夫に面会を求めた。
草津は沼田義興の腹心の部下であり、屋敷内の諸事一切を取り仕切っているのだ。
「これはこれは秋山先生。このような早朝から、本日は如何なる御用でございますかな?」
秋山親子が待つ奥座敷に気軽に現れた草津は、にこやかに二人を出迎えた。
「実は…」
藤兵衛が重い口を開き、数日前の女隠密の一件から、椿が行方知れずとなっている件をかいつまんで話した。
「それは…まことでござるか?」
「如何にも。もはや一刻の猶予もございませぬ。沼田様から町奉行に働きかけ、椿様探索の手を広げていただきますよう、お願い申し上げる次第でござる!」
「お、お願いいたしまする!」
頭を下げる藤兵衛に続き、大二郎が畳に額をすりつけた。
「う…む…」
あまりの事態に、さしもの草津も次の言葉が出てこない。
「しばしお待ち下さいますよう。私から主人に聞いて参りますゆえ」
草津は席を立つと、足早に沼田のところへ向かった。
そして二人の待つ座敷には重い沈黙が訪れた。
「…………」
そわそわし始めた大二郎の腹がぐうと鳴る。
先刻までは緊張で何も食べる気がしなかったのだが、深川から日本橋まで駆けてきたらさすがに身体が空腹に耐えかねたようだ。
間もなく女中たちによって朝餉の膳が運ばれてきた。
この早朝に駆けつけてくれた秋山親子への草津用人の細やかな心配りである。
「大二郎よ、草津殿は何もかもお見通しじゃな…」
膳を見て藤兵衛が微笑んだ。
白粥に葱の入った炒り卵と香の物がついただけの簡素な朝餉だが、椀を持つと良い香りが鼻腔をくすぐる。
大二郎はたちまち五杯もおかわりをして、ようやく人心地がついた。
しばらく経つと草津が戻ってきた。
草津は江戸城へ登城する支度中の沼田に会って相談をしてきたのだ。
「如何でござったか? 沼田様から町奉行に掛け合っていただけますか?」
「そ、それが…」
草津はがっくりと肩を落として言った。
「殿は…例え老中の娘だからといって特別なはからいをしてはならぬ、と申されました…」
「そんな! それでは椿殿は…!!」
大二郎は思わず叫んでいた。
「しかるべき筋にお任せしておけば良い、秋山先生にもようくお頼みしておくように、と…」
「なんと…」
さしもの藤兵衛も驚いていた。
(天下を治める者の器量とは、これほどのものであったか…)
年中、城を抜け出しては政務をおろそかにしがちな将軍・家竜を補佐する老中の凄まじい気概を見た思いだった。
驚く親子の前で草津が、両手をついて土下座をした。
「それがしからもお願い申し上げます! 何卒! 何卒お嬢様をお救いくださいますよう…」
これほどまでに頼られているのだ。秋山親子の顔面にみるみる血が上ってきた。
とりあえず次の方策を練るため、深川の道場に戻った二人。
道場の玄関では、お京と豆岩が藤兵衛を待っていた。
「ご隠居様、どちらへお出ででしたか? ずっとお待ちしておりました! ようやく手がかりを掴みましたので、お知らせに参ったのです」
「それよりもお京! 大変じゃ! 椿殿が…椿殿が…!」
「椿様が…?」
大二郎の言葉に、お京と豆岩は立ち上がって顔色を変えた。
「拐われたのじゃ! 事態は急を要するゆえ、わしらは老中沼田様のところへ、相談にな…」
「して、ご首尾は…?」
「…駄目じゃ。町奉行から探索をかけてもらおうと頼んだが、沼田様は取り合ってくれなんだ」
「何故でございますか? 血を分けた実の親子でございましょうに?!」
「政に携わるということは、かように厳しいものなのじゃ」
藤兵衛は腕を組んで嘆息した。
「それよりもお京。お前の掴んできた手がかりとは何じゃ?」
「そう! それでございます。昨日、目黒不動尊の辺りを探っておりましたら、若い女子の亡骸が打ち捨てられていたのでございます」
「まさか、その亡骸とは…」
「そのまさか、でございます。ご隠居様、しばしお耳を…」
お京は初心な大二郎に配慮して、町娘・お小夜の無残な姿、頭の後ろで両脚を組まれ、股間に巨大な張形をねじ込まれた亡骸の様子を耳打ちした。