誘拐された椿-3
一方、南町奉行へ赴いたお京と豆岩はどうなったであろうか…?
朝の四ツ半(九時半頃)に奉行所の裏門を潜ったお京は、定町廻り与力・平田作次郎に目通りを願い出た。
平田は用件を取り次いだ同心から事件のあらましを聞き、人払いをする為に二人を裏庭に面した奥座敷に通した。
「ふぅむ…。話の大筋はわかった」
「平田様、どうか一刻も早いご処置を。我らにも探索をお命じ下さいませ!」
「しかしのう…。これはなかなかに難しい一件よ」
平田は瞑目し、腕を組んだまま答えた。
「恐れながら申し上げます。このままではご老中・沼田様のご息女・椿様の身にも危険が及びましょうぞ!」
縁側の下で豆岩と共にかしづいているお京は、少し気色ばんで詰め寄った。
奥座敷で縁側に向かって座る平田がさらに難しい顔をする。
ちなみにれっきとした御家人である平田と一介の御用聞きであるお京が同席することは許されない。平田が座敷にいても、お京たち町人は縁側で跪いて話を聞かねばならない。
自由社会に生きる我々とは違い江戸時代の身分制度とは厳しいものであり、大きく身分が違えば直接口をきく事さえも許されなかったのである。
「今回の一件は御公儀も徐々に内偵を進めておる。しかし何分、抜け荷の首謀者の中にはさる大名家の縁者がおってのう…。大方の目星は付いておるとは言え、おいそれと屋敷に踏み込むわけにもいかんのじゃ」
ここで平田は明言を避けたが、実は複雑な事情がある。
品川の別宅を拠点に相州屋と組んで密貿易を行っている松元寿伯はさる大大名家のご落胤であった。
寿伯は御典医の伝手を使ってご禁制の品物を流通させているのでその取引相手は大奥から朝廷の貴族にまで及んでおり、そのせいで幕閣もさすがに二の足を踏んでいるのだ。
「さようでございましたか…」
「証拠の品である割符はこちらに預けろ。わしからお奉行様に相談してみるゆえ。しかしお京よ、動いても良い時はわしが指示を出す。それまでは迂闊に動き回るでないぞ」
「かしこまりました」
奉行所からの帰り道、二人はずっと押し黙ったままだった。
(さて、一体どうしたものか…)
与力の平田から直々に言われては打つ手がない。
(しかしこのまま黙って手をこまねいているわけにもいかぬ…)
というのがお京の本音である。
はたと立ち止まったお京は豆岩に向かってこう言った。
「ねぇ岩…。ちょいと目黒のお不動様にお参りしていかないか?」
「へぇ。わかりやした、お嬢さん。お参りでやんすね?」
お京の意味ありげな目配せに豆岩は大きく頷いた。
不動明王を本尊とする龍泉寺は『目黒不動』と呼ばれて人気があり、大きく栄えている。
その門前町の名物は目黒特産の竹の子飯と目黒飴だ。
大っぴらに探索することは止められたが、お参りにかこつけて椿が隠密を助けた辺りの土地をぶらぶらして探ってみようという魂胆である。
こうして二人は目黒へと足を向けたのだった。
二刻ほど後。
「お小夜っ!! お小夜〜〜〜っ!!!」
名物の竹の子飯で遅い午飯を済ませ、目黒界隈をうろついていたお京と豆岩は、番屋から聞こえてくる男の号泣に気がついた。
「岩! 行くよっ!」
「へい! お嬢さん!」
二人が番屋に顔を出してみると、職人らしき風体の年老いた男が棺桶にすがりついて泣きじゃくっている。
「むっ。何奴じゃ?」
番屋に詰めている同心と岡っ引きが一斉にお京たちを見た。
その中にいた一人の同心がお京を問い詰める。
「今、検分中じゃ。勝手に立ち入ることは許さん」
「あたしは四谷の左門町で御用聞きをしている、かんざしお京って者でございます。今日はお不動様にお参りに来たのですが、番屋から大声が聞こえたもので、ちょいと気になりまして…」
「ふん。四谷が縄張りのお前には関係ないことよ」
「そんなこと仰らず、私らにもどうか検分させて下さいませ…」
お京は思いっきり色目を使い、懐から取り出した銀粒の包みを同心の手に握らせた。
「…そうか、仕方ないな。お京とやら、勝手にしろ」
同心はぷいと横を向き、睨みつける他の岡っ引きたちを制止した。
「ちょいと…。ごめんなすって。仏さんを拝ましてもらいますよ」
棺桶を覗いたお京は思わず息を飲んだ。
「………ッッッ!!!!!」
お京は顔色が変わり、言葉を失った。その後ろから覗き込んだ豆岩も同様だ。
江戸時代の棺桶は棺型ではなく、丸い沢庵桶のような形をした『座棺』である。
中には美しい少女の亡骸が身体を収められているが、その姿は実に異様なものだった。
まず、普通は遺体に白い経帷子を着せて額に三画型の頭巾を当てるものだが、この娘はそんなものなど着せてもらえず、素っ裸のまま。女の全てをさらけ出している。
また身体の折りたたみ方が通常とは全く異なっていた。
丸桶の中に収めるため、普通は遺体の膝を折り、いわゆる『体育座り』にして収める。
しかしこの少女は、わざわざ両脚を高く持ち上げられ、頭の後ろで組まされていた。
ヨガのポーズでいうところの『ヨーガ・ニドラー・アーサナ』という型である。
こんな無理な姿勢を取らされれば当然背骨は湾曲し、遺体の顔と股間は極端に接近する。自分の股間を見せつけられるような体勢だ。
その股座、清らかな乙女の花園と菊門には、二本の大きな張形が無理矢理ねじ込まれていた。
さらによく見れば、無理矢理拡げられた割れ目の上方にあるおさねと胸の二つの蕾が血に染まっている。
乙女の愛すべき三つの肉豆が噛みちぎられているのだ。
この少女は前々夜、寿伯に殺された町娘・お小夜なのだが、お京はそんなことは知る由もない。
孝行娘の純潔を奪い、絞め殺し、さらに遺体までも辱めて父親を苦しめる。こんな酷いことを行うとはなんという鬼畜、なんという獣!
しかし、それが松元寿伯という人間なのだ。