残酷の一夜-4
「…むっ。そこに誰かおるのか？」
「…………」
何も答えはない。
しかし茂みの奥からガサガサと音がして、ゆっくり黒い影が動いた。
椿の目の前に現れたのは女であった。
顔面蒼白の女はぱくぱくと口を開けるのみで、喋る気力もない様子だ。
「これ！ 如何いたした？！ しっかりせい！！」
椿は草むらから這い出してきた謎の女を助け起こす。
女の下腹部を見ると血まみれである。秘部からの出血で、剥き出しの太腿から脚絆をつけた足の先までが赤黒く染まっている。
下腹部と股の付け根を晒し布で幾重にも縛ってあるのは出血を防ぐためであろう。
どこで傷を負ったか知らないが、よほど気丈な女と思われる。
「お、お武家様…。お、お願い…」
女は椿に懐から取り出した小判を三枚差し出した。
同時にはだけた着物の合わせから豊かな乳房がこぼれた。女は胸に巻いていた晒しを解いて腰を縛ったのだろう。
「うむ？ 金か。何故私にこのようなものを…」
「お礼です…。その代わり、これを…深…川…。は、蛤…。と、届け…」
女は最後の気力を振り絞って小さな革袋を渡すと、がっくりとうなだれた。
「おいっ！ 女！ しっかりせよ！！ おい！ おいっ！！」
椿は何度も呼びかけたが、女は既にこと切れている。
「駄目か…」
これだけの深手を負いながらよく走れたものだ。なまなかの手練ではない。
（この女、忍びの者であろうか？ それにしても女の秘所を刀で刺し貫くとは…なんという酷いことを…）
椿がため息をついた時。
道の向こうから五人ほどの浪人が駆け寄ってきた。
「…この女を斬ったのは、お主たちか？！」
「いかにも！ その者は我が主の屋敷に忍び込んだ不貞な輩、当然の報いであろう。さぁお引渡し願おうか！」
顎から頬にかけて濃い髭を一面に生やした浪人が言った。
（いくら曲者であったとしても…股座を刀で貫いていいという法はない！）
その言葉を聞いた瞬間、椿の胸の奥で怒りが湧き上がった。
「…嫌だ、と言ったらどうする？」
「その時は…。腕づくでも貰い受ける！！」
チャキッ！ チャキッ！
浪人たちは次々と刀を抜いた。
椿は美しい顔をほころばせ、自信たっぷりににやりと笑う。
「ほう…。面白い。私が痩せ浪人のなまくら刀を恐れると思ったら大間違いだ！ 侮るなっ！！」
バシッ！！ バシッ！！ バシッ！！
椿はすっと駆け寄ると、抜く手も見せずたちまち二人を斬って捨てた。
一人の男は腹、もう一人は背に刃をくらい倒れ伏した。…といっても実は峰打ちであるが。
「こ、こやつ手強いぞ！ 引けっ！ 一旦引けぇぇいッ！！」
髭面の浪人の号令で、三人は倒れた仲間を担いでそそくさと逃げ出した。
「ふんっ！ 口ほどにもない。近頃の男とは、どうしてこうも意気地がないのか…」
…と、不満げに吐き捨てた。
今日も椿は道場で散々にだらしない男たちを打ち据えたのである。その心には驕りと高ぶりが芽生えていた。
その慢心がまさかあのような悲劇を招こうとは…。
今の椿には思いもよらぬことであった。
椿は女から渡された革袋を懐にしまい込むと、その亡骸を抱いて近隣にある承寛寺の門を叩いた。
そして和尚に事情を話し、遺体を本堂に預けて供養を頼むとそのまま帰途についた。
ここで笹原椿の生い立ちを説明しておこう。
椿は時の老中・沼田義興の妾腹の娘として生まれたが、正室が椿を家に入れることを嫌ったため、家臣である笹原四郎兵衛の養女として育てられた。
椿が十六の歳に正室が亡くなり、養父母から真実を告げられて沼田の家に入った。
しかし幕府の要人として権勢を振るう父に馴染めず、屋敷を出て現在は母方の実家である三田の呉服問屋・小谷屋の離れに寝起きしている。
椿が小谷屋に戻り、どんどんと戸口を叩くと、店の者一同が飛び出してきた。
「椿様！ こんな夜分まで一体どうされたのですか？！ 皆で心配しておりましたぞ！！」
小谷屋の主人・惣左衛門は椿の母の兄、つまり伯父である。
椿の羽織と袴に血がついているのを見て惣左衛門はさっと顔色を変えた。
「椿様！ お着物に血が…！！」
「いえ…。大したことではありませぬ。ちと事情がありましてな。明日にでも話すゆえ、伯父上、食事を用意してくれませぬか？ 今日はいささか疲れた」
「お〜い、お勝！ 台所に何か残ってはいないか？ あったら急いで出しておくれ！」
惣左衛門の指示で急いで女中が膳を用意した。
温め直された賄いのけんちん汁、それに煮しめと香の物をつけた簡素な食事だ。
自室に膳が持ち込まれると、椿はたちまちこれを平らげ、ご飯を三杯もおかわりをした。
ようやく人心地がついた椿は次に湯浴みを所望した。
大店である小谷屋の裏庭には湯殿が設けてあり、一人用の小さな風呂桶があるのだ。
湯殿に入ると、椿は着物の帯をしゅるしゅると解いて乱れ箱に置く。
そして着物を脱ぎ、その下に着込んだ白い肌襦袢をも脱ぎ捨てると、十九歳の眩しい裸身が露となった。
その腰には、まるで男の様な赤い六尺褌がきりりと締められている。
腰に回された横褌と豊かな臀部に食い込んだ縦褌。
その二つが丹念に捻り合わされ、一部の隙もない。乙女の肉丘を包む前袋のまろやかな膨らみにはぴしっと張り詰めた直線的な皺が幾本も走っている。
その締め方はなかなか堂に入っており、年季を感じさせるものだった。
彼女がわざわざ褌を締めているのは、椿の剣の師匠である木下孫兵衛の教えである。
かつて念流の木下道場に入門した際、師匠はこう言った。
『儂に剣の教えを乞うのなら、まず女を捨てよ。修業をする時は、身も心も男に成りきるのじゃ！！』
『はいっ！』
『では…袴を下ろすがよい』
『…は、はい…。しかし…何故…？』