肆-2
「きゃつらが、そのうち、家康の命を奪うかもしれぬと?」
「まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦……じゃがな」
「真田屋敷のある九度山は配下の者に時折見張らせておるが、童が剣術の真似事をしているくらいで、べつに大それた企てがあるとは思えぬがなあ」
「うわべはそうでも、相手はあのくせもの、真田じゃ。これからは監視を厳にしたほうがよろしかろう」
「おばばが言うのだ、そうしよう。……そういえば、おばばの孫、お龍と言ったかな、麹町に薙刀の道場を開いたそうだが、門人の集まり具合はどうだ?」
「おかげさまで、まあまあのようじゃ」
「江戸の街はずいぶん人が増えてきたからなあ。お龍の道場にも人が集まり、金も溜まり、それがおばばにも回ることだろう」
八魔多の揶揄を狐狸婆は軽く受け流す。
「そうだといいんじゃが。……しかし、薙刀はそうでもないが、槍の道場が最近、とみに増えてきたわい」
「槍か……」
「宝蔵院流ならともかく、どこの馬の骨とも分からぬやつが勝手に道場を開き、腕も確かでないのに門弟を抱える始末」
「押し出しばかり立派でも、実際のところ槍の鞘を外してみれば竹光ならぬ竹槍という道場主もいるかもしれぬな」
「そんなのが多くて困るわい。……しかし、一年ほど前、赤坂のはずれに出来た道場の主の腕前は相当なものだという噂じゃが」
「その主の名は?」
「たしか由莉……、由利鎌之助とか」
「生国はどこだ?」
「……分からぬが、言葉に信州訛りが少しあるとか」
「信州……。武田の流れか……」
八魔多自身も元を正せば武田家家臣の末流だったが、赤坂の道場主、由莉鎌之助が真田昌幸の手の者だとは、まだ気づいていなかった。
その鎌之助のもとへ同郷の士が訪ねてきた。お国とともに諸国を巡り、踊りの興行を手伝いながら徳川方の動向を探っていた海野六郎であった。
「これはこれは、珍しい御仁が訪ねてまいったものよのう」
鎌之助は彫りの深い顔に笑みを湛えた。
「鎌之助、道場は繁盛しておるようだのう」
「繁盛などと……。わしの役目は徳川の動きを探ること。道場は隠れ蓑にすぎん」
「それにしては稽古槍の数が多かったぞ。達士のもとには門弟が自ずと集まるものじゃなあ」
「ずいぶんと上げられたもの……。ところで、外で控えておるちゃらちゃらしたおなごどもは何じゃ?」
「ああ、あれは出雲のお国とその一座の踊子たちじゃ」
「出雲のお国とな?」
「名前くらいは聞いたことがあるじゃろう」
「ああ……。京では大層な評判だとか」
「京の都ばかりか、大和・山城・河内・和泉・摂津の畿内で名を上げ、伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、相模と練り歩き、この武蔵の国でも取り沙汰されようという寸法さ」
「それは豪儀だのう。しかし、こう人数が多くては諸国を巡っているうちに路銀が底をつくこともあるだろう」
「それは真田の大殿が、苦しい遣り繰り身上なれど金を工面して、わしらに寄越してくれておるのじゃ」
「大殿も大した入れ込みようじゃの。……おそらくおまえを一座に溶け込ませ、諸国の情勢を探らせようという魂胆だろう」
「御名算」
「……して、どれが噂のお国じゃ?」
「一目瞭然だろうに」
「ふ……、そうじゃな。気が溢れているおなごがおる。……あれが男であれば、ひとかどの侍大将が勤まるであろうて」
「これは、という時に気を吐けばよいものを、平素からあの調子でな……。周りの者は疲れてしまうわい」
「はははは……。ところでもう一人、若いがなかなかの面構えの娘がおるのう」
「ああ、あれは……」六郎は自分の首を軽く叩いて苦笑した。「わしの娘じゃ。宇乃と申す」
「ほう……、おぬしにあのような娘御がのう……」
「おまえの末の妹、由莉どのと同じ十一歳じゃ」
「そうか……。由莉はどうしておるかのう」
「九度山で修行させられておるよ、傀儡女のな」
「傀儡女か……。由莉も『女』を用いてご奉公する年とあいなったか」
「……ところで、江戸にてしばらく興行させてもらうが、二、三日、ここに逗留させてもらえぬか?」
「それは構わぬが……」
「定宿が決まったら出てゆくゆえ、よろしく頼む」
「江戸へはどれくらいいるつもりだ?」
「それは、お国次第だが、半年になるか……、もっと長くなるか……」
「お国次第と言うが、本当は九度山の大殿の指図次第ではないのか?」
「それは……、わしにも分からぬよ」
微笑する六郎を、じっと見つめていた鎌之助だが、外で女たちの歓声が上がったのでそちらに顔を向けた。
道場の若い門弟が数名そろって稽古にやってきたのを、踊り子たちが見つけてわらわらと取り巻いたのだ。濃い化粧・華美な着物の娘たちに「いい男だねえ」とか「なに赤くなってんのさ」とか言われ、門弟たちはへどもどしていた。
「これでは稽古にならぬかもしれん」
頭を掻く鎌之助の横で六郎が呵呵と笑った。