〜 金曜日・食事 〜-2
「四つ足(よつあし)の本性が浅ましい由縁は、貪るからです。 命じられたから貪るのではなく、全てにおいて過程も結果も考慮せず、ただただ貪る姿は醜く、恥ずかしく、呆れたものです。 つまり今、お前たちは自分の意思でひたすら貪る生き物です。 それを体現するためここにいます」
カサカサと藁が擦れる以外、しわぶき1つない大きな部屋。 教官の声は金盥に遮られてたためにくぐもってはいたけれど、一言一句耳に届く。
「我々は当然、浅ましいお前たちを指導します。 けれど本性から卑しいお前たちを指導するのは並大抵ではありませんし、すぐに更生するとも期待していません。 かといって全く進歩がなくては、いつまでたっても学園から出ることはおろか、人の好意にあずかる資格もない。 自分に相応しい仕草、立場を理解し、恥ずかしく賤しい部分を少しづつ修正すること。 それによって、全てが最下等に位置しながらも、辛うじて社会にでる最低限のハードルを越えることができます」
何を言っているかはわかっても、何が言いたいのかは分からない。 昔、まだ私に家族がいたころに法事で耳にした、あの独特のお経のよう。
「端的にいいましょう。 貪りなさい。 一節の欠片も余さず、すべて胃の腑に納めること」
ザザザッ。
何かがタンクに満ちてゆく。 凄い勢いで断続的に小さなものが注がれている。 そして、
「はじめ」
カチリ。
頭上遠くから教官の声。 そして備えられたドラム缶状のタンクからスイッチが入る気配がした。
その途端、
ザザザー。
樋(とい)をつたって何かが盥にやってくる。 鼻をつく乾いた香り――茶褐色の節、しおれた繊維、ネコジャラシのような穂――これは、草だ、牧草だ。 草の隙間を埋めるように、オオバコや大麦、糠やモミ柄までふってくる。 草と種を配合した、正真正銘家畜用の『飼料』だった。
「うぷっ、うっ、くふっ……!」
たちまち唇が、鼻がふってきた飼料に埋もれる。 細かな粉塵が鼻孔に刺さり、このままでは息ができない。 たまらず、僅かに動く首をもたげ、顔をあげようとしたところ、
「わぷっ!? げっ、ぐぇっ、うぷっ」
見透かしたように、瞬時に顔を盥に押し戻された。 おそらくB29先輩の手で、髪を掴んで引き倒された。 息を継ごうと口を全開にしたことが裏目にでた。 口いっぱいに苦くてパサついた草がへばりつき、いがらっぽい粉が喉まで侵入する。
顔を飼料にうずめられて噎せる私。 脳裏をいくつもの悲鳴が駆け抜ける。
牧草なんて、つきつめれば雑草でしかない。 こんなものが食べられるんだろうか? それも、全く調理せず乾かしただけの繊維を食べていいのだろうか? しかもこんな大量に注がれた上で、どれだけ食べればいいんだろう? 息もできない、喉がいたい、ものすごく不味い、口の中が切れたみたい、水気が欲しい、呑込めない、姿勢が辛い、先輩が怖い――
――でも、教官は『貪れ』といった。
「あんぐっ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐうっ!」
モシャモシャ、ヌチャヌチャ、モッシャモッシャ。
否も応もない。 今更無茶もへったくれもない。 こうなったらヤケクソだ。 口いっぱいに頬張った飼料を一息に呑み込む。 馬のように大きく顎で食み、塊ごと喉奥におくる。 生理的にえづいたところで、私はつい一昨日汚物だって呑み込んだのだ。 今更雑草への嫌悪感ごとき、いくらだって誤魔化してみせる。
「んぐ、んぐ、んぐ、あんむ」
モシャモシャ、モシャモシャ。
かたっぱしから口に含み、息をするように胃に納める。 食道を通るいがらっぽい刺激も、開き直ってしまえばどうにでもなる。 きっと頬袋いっぱい膨らませた私たちは、教官がいったように品性の欠片も無くて、ひたすら浅ましい姿なんだろう。 それでも、無様な姿を晒すことで指導や補習が赦されるなら、私にとっては十分すぎておつりがくる。
サッ。 金盥の向こうで人が動く気配。 と、ザザー、更に追加で飼料がふってきた。 せっかく鼻先まで下がった飼料の上端が、またも鼻を覆うまでかさばる。 もっと食べろ、ということだろうか。
構うもんか。
「んぐっ! んぐっ! んぐっ!」
モシャモシャ、モシャモシャ。
吐気は勿論ある。 水気が少ないことが幸いし、まだまだ胃の中に納められそうではあるけれど、膨満感は半端じゃない。 それでも私は憎い仇に喰らいつく様に、オオバコの茎たちを頬張った。 私だけじゃない。 隣の28番も、30番も同じだ。 木枷から顔だけだした3人で、どれくらいの飼料を片付けただろうか。 一頻りやっつけては、また新しい飼料が流れてくる。 それでもめげず、私たちは勢いを落さず食みつづけた。 やがて胃がパンパンの限界になったが、嘔吐しようにも水気がないから胃の縁でつっかえ、繊維を吐きだすこともできない。 出来ることといえばお腹を揺すってちょっとでも腸へ落とすこと。 吐きたくても吐けない辛さを堪え、涙と草の粉で目を真っ赤にしながら、私たちは口をモグモグ動かし続けた。