弐-4
「ほら! 手も動かすが、おそそ(京ことばで女性器の意味)も締まるように動かす!」
鋭い声が飛んだ。声の主は千夜ほど年配ではなく、そうかといって少女らの年齢でもなかった。二十歳とも見え、三十路とも思われる年齢不詳の女だった。
「今日の国姉(くにねえ)はおっかねえのう……」
稀代が少女にしては逞しい首をすくめる。
「国姉は踊っている時以外は、たいてい機嫌が悪いよ」
稀代の妹の伊代も同様に首をすくめながら囁いた。
この国姉と呼ばれる女、時々ふらりと九度山に姿を現しては少女らの紐作りの目付役を買って出たり、気まぐれに踊りを教えていた。その踊りが妙なもので、馬手(めて)に扇子、弓手(ゆんで)に刀剣、それらを躍らせながら舞うのであった。
「国姉は、京の都では『出雲のお国』とか呼ばれてけっこう評判なんだと」宇乃が割って入った。「河原で始めた踊りの見世物が、今では伏見のお城に招かれて度々踊ることもあるそうな。……すごいのお」
「宇乃は国姉がお気に入りじゃな」
「だって稀代、国姉は踊りが上手いし、唄も上手い。目付きがちょいときついけど、女でも惹きつけられる顔してる。……あたい、国姉にあやかりたい!」
「でも……」伊代が首をひねる。「なんで『出雲』なのじゃ? 稀代姉」
「そりゃあ、生まれが出雲だからじゃろう?」
「佐の殿が『そうではない』と言っていたのを聞いたことがあるがのう」
「まあ、さようなことはどうでもいいさ」宇乃がお国をじっと見ながら言った。「あたい、国姉に付いてゆきたいなあ」
「わしらは修行の身」稀代が顔の前で手を振った。「付いてゆくなんて無理無理」
「そうかのう……。あたいも、京で踊りたいのう……」
ところが、宇乃の願いは存外、叶えられそうな雰囲気だった。
翌日、幸村屋敷の書院。
幸村と昌幸が並んで座り、対面にお国、その隣に宇乃の父である海野六郎が座っていた。
「六郎……」昌幸が書き物に目を通しながら言った。「草の者がもたらす諸国の情報を、よくも綿密にまとめ上げるものよ」
「痛み入りまする」
「しかし、その仕事、そろそろ穴山小助の娘、久乃にやってもらおうと思うておる」
「小助どのの娘御……。なるほど、聡明なかの者なれば少し手ほどきすれば役目をこなすことでしょう。……しかし、そうなると身どもが職を失いまするなあ」
穏やかに笑う六郎に幸村が語りかけた。
「おぬしには、このお国に付き従い、諸国を経巡ってもらいたい」
「といいますと……」
「お国一座の一員となり、生きた情報を、おぬし自ら仕入れてもらいたい」
「佐の殿の仰せとあらば否やはござりませぬ。……承りましてございます」
「付き従うのはおぬしだけではない」
「といいますと?」
「おぬしの娘、宇乃も一緒じゃ」
「え? あの宇乃も?」
驚く六郎。幸村がお国のほうを見た。
「では、あたしから言いましょう。……この里を訪れるたびに十名の娘たちを見てまいりましたが、踊子としてまあまあ使えそうなのは、そなたの娘、宇乃」
「早喜や沙笑ではなく?」
「あやつらは動きが敏捷すぎる。嫋やかさのかけらもない」
ぶっきらぼうに言うお国。昌幸が言葉を添えた。
「早喜と沙笑には別な役目を考えておるからの……。どうじゃ、六郎、親子でお国一座に溶け込んでくれぬかの。このとおり、頼む」
昌幸に頭を下げられ、六郎は仰天した。あの家康にさえ、けっして頭(こうべ)を垂れることのなかった昌幸なのだ。
「お、大殿、頭をお上げくださりませ。……大殿と佐の殿ご両名のお言いつけ、しかと心得ましてござりまする」
平伏する六郎。その背中にお国が気取って「よろしゅうに」と声を掛けた。
「ところで、お国よ」幸村が笑いかけた。「出雲の出でもないおぬしが『出雲のお国』という名で評判を取っているのは、いささか妙じゃのう」
「あら、それは佐の殿、箔を付けるためでございますよ。出雲大社勧進のため諸国を巡っておると言いふらしたほうが聞こえがよろしゅうございましょう?」
「ふむ。神無月に諸国より八百万の神々が集まる出雲。出雲大社の御祭神大國主大神は縁結びの神でもある。男女和合の踊りも見せるお国であるからして、出雲はなるほど、げにふさわしき通り名じゃ」
「わしとしては……」昌幸がにやりとしながら言った。「信州上田にゆかりの深い『諏訪』を取り『諏訪のお国』と呼ばわってほしかったのう」
「あら、大殿。あたし生まれは遠州なれど育ちは紀州。ならば『熊野のお国』とでも名乗るべきだったかも……」
「踊っておる時以外のお国は気性が荒いでなあ……、日本武尊(やまとたけるのみこと)に楯突いた熊襲……『熊襲のお国』のほうが似つかわしいわい」
「まあ、大殿!」
昌幸・幸村父子を相手に気軽に口をきくお国という女。いつの間にか九度山に現れ、素性も知れぬのに真田の一党に馴染んでしまった女。
『不思議な女じゃ』海野六郎は思った。『一時は江戸からの間諜かと疑ったが、どうもそうではないらしい。真田の頭領の信頼も得ておる。……まあ、これから一緒に旅してみれば、素性も分かってくるだろう』