弐-2
「いざ、参ります!」
真っ先に棒を取ったのは、少女らの中で最も体格のよい稀代だった。真田十勇士の一人、三好清海入道の従姉妹だけあって、女だてらに面構えもなかなかのものだった。
稀代は力任せに棒を打ちつけ、幸村の竹竿から威勢のいい音を響かせていたが、身体に当てることは出来ず、逆に尻を打たれて悲鳴を上げた。
次は久乃が挑んだが、彼女の父、穴山小助は十勇士の中では武力よりも知力で秀でていた。ゆえに、久乃も棒さばきは覚束なく、幸村の竹竿に棒を絡め取られ、降参した。
ところが、三番手の沙笑。これが曲者だった。鋭く棒を繰り出し、足の運びもなめらか。さすがの幸村も竹竿を持ち直し、本気をわずかばかり滲ませた。軍場(いくさば)にて十文字槍をふるわば万夫不当の幸村。睨んだだけで沙笑の棒に強張りが生じた。そして、一瞬の隙をつき、沙笑の右肩を竹竿の先でポンッと突いた。
「参りました」とは言わず、下唇を噛んでうつむくのが、この娘の負けん気の強さを物語っていた。
「さあて、次は誰かな? ……早喜か。…………来なさい」
早喜は丸い目をさらにまん丸にし、棒を構えたが、双眸の力強さに比べ、肩の力は適度に抜け、膝の曲がりも自然だった。
『こやつ……年若(としわか)のくせに………』幸村は心の中でニヤリとした。『兄、佐助と同じ血が流れている。構えに隙があるようで、そのじつ、隙はない。……天稟(てんぴん)というものかのう』
幸村は竹竿を握る小指だけに力を込め、にじり寄った。そこへ、
「こりゃ幸村。わしを差し置いて勝手に稽古をするでない」
昌幸が怒ってやってきた。それで早喜と幸村の対決はお流れとなったが、そのまま続いていれば、早喜の棒が幸村の竹竿をかいくぐって身体に触れた……かどうかは定かでない。
ともあれ、十人の少女たちは紐づくりで真田家のたつき(生計)の一助となり、そのいっぽうで槍術・剣術・体術の修練を積み、傀儡女としての修行も始めながら年月を重ねていった。
そして、九度山の少女たちが、つきのものが始まる齢(よわい)となり、細い四肢に幾分脂が乗り、仕草にも女らしさが現れるようになったのは慶長十(1605)年、江戸幕府が開府してから二年経ち、徳川秀忠が二代将軍に就任した年だった。同時に、家康が駿府城へ隠居して大御所と名乗り始め、豊臣秀頼が十三歳で右大臣に昇進した年でもあった。
つきのものが始まるということは、稚児(ややこ)を産む準備が出来たということ。男根を女陰に入れてもよい時期になったということだった。
古来、日本の村々では、少女の初物を頂く、つまり処女から女へと変貌させる役を担うのは村の主立った者だった。青臭い若輩が夜陰に紛れて娘を押し倒すこともあったが、年の練れた者が「女にしてやる」のが本来の習わしだった。
九度山にて、つきのものが始まった娘十人。彼女らの初物を献上する相手は、真田の頭領と、その跡継ぎの二名だった。
「久乃。おぬしの相手はわしとなったが、これでよかったか?」
昌幸が尋ねる。声を掛けられた娘は、下ぶくれの頬を朱に染め、こっくりと頷いた。
月日の差はあったが、めでたく初潮を迎え赤米を焚き邪気を払ってもらった十人の娘は、くじ引きで昌幸の閨か幸村の寝所かを決められた。
結果、昌幸は穴山小助の娘・久乃、筧十蔵の娘・飛奈(ひな)、三好清海入道・三好伊三入道兄弟の従姉妹・稀代、根津甚八の娘・音夢(ねむ)の相手を務めることとなった。
いっぽう幸村は猿飛佐助の妹・早喜、霧隠才蔵の妹・沙笑、海野六郎の娘・宇乃(うの)、稀代の妹・伊代(いよ)、由利鎌之助の妹・由莉(ゆり)、望月六郎の娘・睦(むつ)と同衾することとなった。
そして、めぐる六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六種)のうち、大安の夜を選び、一人ずつ処女を献ずることとなったのだ。
「久乃。まわりの女童に比べ、そなたの初経が遅いゆえ、わしは陰ながら案じておったが、十二の歳で何とかつきのものが始まり安堵いたしたぞ」
「大殿様、ありがたきお言葉、痛み入りまする」
「さて、今宵は六曜のうち万事によしという日、大安じゃ。わしが無事、そなたを割ってしんぜるゆえ、心やすく…………、な?」
昌幸は久乃をそっと抱きしめ、そうして、おもむろに衣を脱ぎ、下帯を外した。股間には齢(よわい)六十を翌年に迎えるとは思えぬほど立派に勃った男根が、火皿の光をわずかに受け、闇に浮かんでいた……。
時を同じくして、幸村の寝所。
「早喜。さきほどから立ったり座ったり、落ち着かぬのう……」
「だって、佐の殿。あたい、今夜、女ってのになるんだよ。どういうふうにどうなるかは千夜かかさまからとっくりと聞かされたけど、いざとなったら何だかこう……」
早喜は丸い目をキョロキョロさせ、幸村をまともに見ようとしなかった。十歳のその肢体は、しなやかな曲線を描きつつあるが、まだまだ熟れている状態には程遠かった。しかし、愛くるしい顔と、新芽の清涼さにも通ずる肌の瑞々しさを間近に見て、幸村は「役得」という言葉が浮かぶのを禁じ得なかった。