壱-2
「その当時、上田城は城普請の真っ最中」久乃が言った。「石垣もなかったのでござりましたね」
「うむ。さように準備不足。土塁しかない城ゆえ、徳川勢は端(はな)から見くびって攻めて参った。七千という数を頼んでな。わしはまず二百の前衛部隊を繰り出したが、軽く戦わせたのち、すぐに城へ引き返させた。『これは弱い』と見た徳川勢は大手門から三の丸へとなだれ込み、一気に二の丸の城門へと殺到した。だが、いともたやすくここまでたどり着いたのを不審に思った陣頭がいたようで、それ以上すぐには攻めかかってこない。そこで、わしは横曲輪の露台に出て、近習に鼓を打たせ、『高砂や この浦舟に帆をあげて……』と謡(うたい)を披露して相手を挑発した」
ここで女童たちがドッと笑う。
「寄せ手の大将は『愚弄するか!』と怒り心頭に発し二の丸門の打ち壊しを指図。密集した敵兵が門の前に溢れかえる。その刹那、わしは采配を勢いよく掲げた。すかさず城壁の鉄砲狭間や櫓から鉛玉が寄せ手めがけて雨霰と放たれた。矢もおびただしく降り注ぐ。押し合いへし合いする敵はすぐには逃げられず斃(たお)れるものが続出した。這々の体で城下の区画へ逃げ込んだ寄せ手は、道に施された千鳥掛けの柵のせいで速く進むことができぬ」
「大殿様!」元気よく手を挙げたのは稀代(きよ)だった。女児たちの中で一番身体が大きかった。「千鳥掛けって何だったかのう?」
「千鳥掛けと言うは、縦の道に『ハ』の字の左右を少し上下にずらすように柵を並べていくことじゃ」
「ふーーん?」
「『入』の字の一画目に対し、二画目を少し右上に離してみい」
「……むむ? かような感じ?」
「稀代には後で書いて教える。……ともあれ、千鳥掛けの柵のせいで敵勢は道でもたつく。そこへ、家々の屋根に潜ませてありし伏せ勢が鉄砲、弓矢を浴びせかける。寄せ手は混乱の極み。そこへもってきて辻々より町人・農民が竹槍や棍棒で襲いかかったから、これはたまらぬ。敵は傷だらけで城の外へ逃げるしかない。その時、離れて待機しておりしわしの嫡子、信幸が騎馬武者を交えた八百の兵で攻めかかった。突かれ、斬られ、徳川勢は結局、千と三百ほどの犠牲を出して敗走した」
昌幸がここまで語ると、女童たちは目を輝かせ、頬を紅潮させていた。
「じゃが……」語り部は声を落とした。「その日は大勝したが、寄せ手はまだ五千以上も残っておった。上田の城を攻めるのではなく、南に少し離れた丸子城という支城に兵を寄せた。城の味方は奮戦し、わしも上田城から打って出て戦った。多勢に無勢ゆえ難儀したが、何とか二十日以上も丸子城は持ちこたえた。だが、これ以上攻められては丸子も上田も落城するかもしれなかった……」
言葉を切ったが、久乃を除いて女児たちは固唾を呑んで身動きもしない。
「真田の家もこれで終いか、と思いし時、なんと、敵が一斉に引き始めた。味方は皆、狐につままれたような顔をしておった。が、ひとりわしは密かに拳を握りしめていた」
「家康の右腕たる重臣、石川数正がにわかに叛心」久乃が微笑みながら言った。「その頃敵対していた豊臣秀吉のもとへと出奔しまったのですね」
「さよう。久乃はよく覚えておるのお。……家康が若い頃より近侍として仕え、あまたの戦いで武勲を上げた大物、石川数正が逐電したのだから、これは一大事。徳川家の内情が秀吉に筒抜けになる。三河の侍ども、上田合戦などしている暇はなくなってしまった」
「いい気味じゃ!」
稀代の大声で童らが笑いさざめいた。それが収まるのを待って昌幸が続ける。
「この数正の翻意はじつに不可解であると世間は首をひねった。いろいろ憶測が飛び交った。が、未だに事の真相が分からぬ…………」
昌幸がもったいぶって話を区切る。その時、
「それは、かかさまのしわざじゃ!」
叫んだのは早喜だった。
「さよう。……石川数正の心を変えたのは、早喜の母じゃ人、傀儡女(くぐつめ)を束ねる千夜(ちよ)じゃった。傀儡女の意味は分かるな? 早喜」
「傀儡(人形)の芸を見せるのと、男と寝てあげること、この二つで銭を稼ぐ女のことじゃ」
「さよう……。世間では今、遊女(あそびめ)と呼ばれることがほとんどじゃが、この真田では傀儡女と称す。その女頭領が千夜。こやつが石川数正の所領で傀儡芸の評判を上げ、数正に気に入られて屋敷に下働きとして召し抱えられ、やがて、すこぶるつきの美貌ゆえに数正のお手付きとなった」
「千夜様は今でも若々しく、とても四十とは思えぬ色香を放っておいでだからのう。十数年前ならば石部金吉(極めて物堅い)の石川数正であろうとも、つい手が出たことだろうて。ははははは」
沙笑が笑い放つ。その笑いを引き取って、昌幸が歪んだ笑みを片頬に貼り付かせながら言った。
「閨(ねや)に招かれた千夜は、ここぞとばかりに己が魅力を開帳した。髪は烏の濡れ羽色。水を弾く珠の肌。形よき両の乳房。みっしりとした尻肉。極上の女体じゃ……」