〜 水曜日・窒息 〜-3
必死で耐えた結果、私を含む4名が『自力で』3分をクリアできた。 合図を聞いて水から顔を離た直後は、顔全体が火達磨のようで、パンパンに赤く腫れていた。
『自力』に対して『他力』がある。 鎖で水底に繋がれた8名も、強制的に3分の潜水を余儀なくされた。 ただ、2分を我慢できないものが、3分耐えられるわけはない。 3人とも1分半を過ぎた頃に水中で暴れ、水を飲み、溺れ、ぐったりとなる。 3分すぎて鎖がほどけても、プカリと浮くばかりで息をする気配はない。 それはそうで、とっくに意識を失っているのだ。 四肢を垂らした8人は保健委員に担がれ、プールサイドに引き上げられた。
横たわった8人に対し、保健委員は素早く人工呼吸を施す。 鼻をふさぎ、首の下に膝をあて、気道を伸ばしつつ呼気を入れる。 合間に心臓を強く擦ると、気絶した少女たちは直ぐに意識を取り戻す。 人工呼吸を始めてからほんの数十秒で、結局全員が起きあがった。
8名はプールサイドに残る。 残る私たちは27名には、3回目の潜水が待っていた。 しかもうち23人には黒い鎖のオマケ付。 時間は更に1分伸びて、5分だという。 教官の合図でモーターが唸り、私の両隣を含めた23人は、あるものは喚き、あるものは泣きながら水中に沈んだ。 私を含め、全員が自分の運命を分かっていた。
5分をクリアなんてできるわけがない。 限界まで耐えて、それでも合図を貰うには至らず、私はギブアップした。 私が諦めて顔をあげた時点で、既に3人が荒い息をしており、鎖に繋がれていない生徒は誰も5分の壁を破れなかったことになる。
潜ってしばらくは、あちこちで生徒が暴れる気配がした。 モガモガと、水中で叫ぶ声もした。 けれど私が白旗を上げた時には、鎖に繋がれて水中に呑まれた生徒の中で、動いている影は1つもない。 誰もが不自然に首を水底につけ、海草のように手足が揺れていた。
みな、とうに意識を失っていたのだ。 だのに教官も保健委員も眉ひとつ動かしはしなかった。 5分が経過して鎖がほどけると、さっきと同じテキパキした手際で鎖を外し、プールサイドに生徒をあげる。 5人の先輩が5往復し、プールサイドには打ち上げられた魚よろしく23の裸体が並んだ。 喰いいるように私たちが見守る中、保健委員は人工呼吸に移る。 次々とクラスメイトが水を吐き、あるいは咽(む)せながら瞼を開く。 23人全員が意識の狭間から戻ってくるまでにかかった時間は僅か数分。 誰1人横たわったままの生徒はいなかった。
次は自分が鎖に繋がれる番だ、最悪だ。 5分に達しなかったんだから、鎖で繋がれて5分以上沈められ、足掻き、もがき、最後には気絶するまで許してもらえない状況に追い込まれる――そう思って身構えたが、私の予想は間違っていた。
残った私たち4人は鎖で繋がれる代わりに、プールのスタート台に連れて行かれた。 スタート台には枷が4か所についており、それぞれに両手両足を嵌められる。 これで私は『大の字』でプールの壁に固定されたわけだ。
4人を待っていたのは終わることのない『くすぐり』だった。 基本的には1人につき保健委員1人、私にだけ保健委員が2人つく。 そのうち1人は寮のB33番先輩だ。 首から下が水中にある中、4本の手と20本の指が、脇、乳首、首筋、足、全身に向けてスルスルと伸びる。
『擽(くすぐ)ったい』とは、ヒトが触覚を通じて脳に『違和感』を感じたときに生じる感覚だ。 それは普段触られにくく、ある程度触点(5種類ある感覚点の1つ)が分布する場所を刺激された場合に生じやすい。 また、脳と身体のギャップが大きいほど、つまり精神は緊張しているのに身体がほぐれて神経が緩んでいる時ほど、擽ったさは甚だしいという。 水中に沈められる恐怖で精神が硬直する一方、温(ぬく)い液体に包まれて肉体が寛ぐ状況は、意図するしないに関わらず、擽りの効果を存分に発揮する環境といえた。
其処から先は、叫びっぱなしの地獄だった。 顔はひきつり、涎が溢れ、鼻水を延々垂れ流し、私達は嬌声を叫び続けた。 一瞬でも指の動きが止めば一息つけるのに、そんな余裕はどこにもない。 只管(ひたすら)笑い、喚き、楽しそうに息を吐き続ける。 もはや吐く息が肺から失せて、痛みにむせびながら、それでも笑う。 笑いと呑み込む次いでに僅かの空気を吸えたとしても、次の刺激で爆笑すれば、そんなものは跡形もなく消し飛んでしまう。
5分を越えたあたりから、擽られた記憶がポッカリ抜けている。 覚えているのはただ1つ、猛烈に『苦しい』ことだけだ。 私はプールで大きい方と小さい方、両方漏らしてしまったらしいのだが、それすら全く覚えていない。 ただただ苦しい中で、全身がバラバラになるまで息を吐き続ければ、肺は痙攣して機能を失う。 常軌を逸した『くすぐり』は窒息と同義だ。 私も例に洩れなかった。 水中で気をうしなうことと、擽られて失神するのと、どちらがより苦しいかは分からない。 それでも改めて考えてみると、同じ薄れゆく意識なら、溺れるよりも痙攣しながらの方が、まだヒトらしいような気がした。 この発想自体、相当末期的だとは思うけど……。
気づいた時は、手枷も足枷も外されて、プールサイドに転がっていた。 ぼんやりした視界には、気を失った私に人工呼吸をしてくれたのだろうか、B33番先輩が濡れた唇ごしに薄っすら笑みを浮かべていた。
時計の針は、いつの間にか16時15分をうろついている。
終わらない苦難はない。 明けない夜もない。