雨傘-8
微笑んだヒロキくんは、いつも通りのやわらかい表情をしていた。
わたしはなんとなくホッとして、そしてその瞬間自分がとても緊張していたことを知った。
「言っちゃったから白状するけど、僕、沙保さんのことが好き」
「えっ」
「最初はね、耳がね、僕の好みのかたちだったのがいいなって思ったきっかけ。こう、ハーフアップにしてたでしょ、髪の毛。今も髪の毛をまとめているからよく見える。耳、好みのかたち。厚さとかもちょうどいい。触りたいって思っちゃった。それでね、いろいろ話しているうちに、あぁやっぱり耳が好みのひとっていうのは性格もしっくりくるというか──いいなって思った。すごく好き」
ふたつの目がまっすぐわたしを見る。
吸い込まれそうな、綺麗な目。
ドキドキする。わたしは瞬きも忘れてヒロキくんの目を見つめていた。
「沙保さんは僕のこと、嫌い?」
「そんな──そんなことないよ」
ヒロキくんがわたしの左耳に触れた。
ひんやりとした指先。
「じゃあ、好き?」
耳のふちをなぞるように、いったりきたりする指。
「僕のこと、好き?」
わたしは無言でこくりと小さく頷いて目を伏せた。
顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「嬉しい」
ヒロキくんが親指で耳たぶをこするように撫でながら、じゃあ今日から沙保さんは僕の彼女だねと囁くように言った。
彼女。くすぐったい響きが、わたしの目を潤ませた。
「わたし……わたしでいいの?」
「沙保さんがいいの」
顔をあげた瞬間、涙が一粒頬を流れていった。
ヒロキくんはやわらかく微笑むと、ゆっくりと、そしてしっかりと頷いてみせた。
「元カレとその女の言うことなんか気にしないで。そのふたりは自分たちの醜さに気づいてないんだよ。そんなひとたちの言葉より、僕の言葉を信じて。僕は、沙保さんにそばにいてほしいんだ。沙保さんが必要だから」
ヒロキくんがわたしの涙を指ですくうと、彼女になってねとわたしの目を覗き込んで言った。
わたしは小さく頷いて、ありがとうと涙の混じった声で言った。
「あっそうだ。これ、あげる」
そう言って、ヒロキくんがパーカのポケットからネックレスを取り出してわたしの首にかけてくれた。
「鐘のモチーフのネックレス。このアルバムが出たときにデザインが気に入って買ったんだけど、長さがちょっと物足りなくて。でもすっごく気に入って買ったものだから沙保さんにあげたいなぁって思って」
はにかんで言うヒロキくんに、わたしはおろおろしながら言った。
「でっでも、高価そうなネックレスなのに」
「僕のおさがりなんだし、それに僕があげたいって思ったんだから気にしないで」
揺らすと綺麗な音のする鐘モチーフのネックレス。
モチーフ部分とバチ環に二羽の鳥が絡み合うように透かし彫りで彫り込まれ、燻しとプレーンのコントラストがとても美しい。
鐘の内側にはブランドロゴが刻み込まれていた。
「ありがとう……ほんとうにいいの?」
「もちろん!」
にっこり笑ったヒロキくんの笑顔は、やっぱり天使のようだと思った。
それから一時間ほどおしゃべりをして、体調が悪いところに押しかけてごめんね、でも会えて嬉しかった、またあとで連絡するねと言ってヒロキくんはアルバイトへと向かった。
珈琲の香りと何回目かの『目蓋』、それから鐘のネックレスがわたしに寄り添っていた。
ヒロキくんがくれたネックレス。
わたしはネックレスをきゅっと握り締めると、小さくため息をもらした。
ヒロキくんがわたしの彼氏になった。
わたしはヒロキくんの彼女になった。