『Twins&Lovers』-87
「時に、勇太郎」
不意に話を振られて、一瞬どきりとする。
「懐かしい名前から、手紙がきたんじゃ」
そういって便箋を取り出した郷吉は、その差出人がかかれたほうを勇太郎に見せた。
「覚えとるか?」
手渡された茶色の封筒に書かれた名前を改めて見る。
「轟、弓子――――」
どこかで聞いたことのある名前……。
「あ!」
クラスの転校生・轟兵太を思い出した。それは、同じ名字から成された連想である。
「え、弓子……弓子さん!?」
そして名前から、数年前の記憶がフラッシュバックで蘇った。
轟弓子とは、以前、郷吉を担当していた編集者の名だ。ただし、それだけならば、勇太郎としてもある種の衝撃をと共に、その名を思い出すことはなかったろう。
勇太郎は味覚の記憶に、ただならぬ懐かしさが溢れ出た。
なにしろ、郷吉の原稿を取りにやってくるたびに、頼みもしないのに御飯をつくってくれたのだから。果ては家の掃除から、洗濯まで。ほとんど、家政婦というよりは、母親のように、男二人の安堂家を切り盛りしていたスーパー編集者が、この轟弓子だったのである。
(なんだかねえ、放っておけんかったんよ)
彼女自身同じ年頃の子供がいるということで、母親がいない勇太郎に対し、“自分が担当している作家の家族”という以外の、強烈な親近感を抱いたのだろう。
そして、勇太郎にとって、その轟弓子が郷吉の担当をしていた数年は、まさに至福のときであった。
残念なことに、その雑誌が廃刊になり、彼女もまた編集という職業から離れてしまったので、気がつけば音信が途絶えてしまった。
しかし、こうやって再びその名前に触れることができて、勇太郎は嬉しく思う。
「近場に越してきたそうじゃ」
「え?」
「弓子さんな、いま、最近できたトレジャー・スタジアムのアトラクションの演出を担当しとるらしい」
「TSの!?」
それは、隣接している市の海浜公園にある、先月開設されたアミューズメントパークのことだ。実は、夏休み中に一度は行こうと考えたが、学生の遊び場としては値段が張りすぎたので予定は予定のまま、すっかり頓挫していた。
「あれ? でもそれじゃ、なんで城南に?」
引っ越してきたのだろう? 勇太郎は、しかるべき疑問を抱く。確かに、ここからそのトレジャースタジアムまで遠いとはいえないが、市内のほうが何かと利便性は高いだろうし、それならわざわざ離れたこの城南町に住まなくてもよかったのではないだろうか。
「亡くなった旦那さんの実家がここにあったらしくてな。経費削減の一環とか、記してあったぞい」
「弓子さん、変わってないね」
なにしろ、キャベツの芯を捨てただけで注意が飛んだこともあったぐらいだから。勇太郎は、過去の記憶にそっと触れてみる。
「ワシがこの町にいることも、知っていたようじゃ」
「知らせたの?」
返事の変わりに郷吉は首を振った。
「息子さんから、聞いたそうじゃ。どうも、ワシのファンらしくてな。どこかの雑誌に、さりげなーくのっとった入院記事を見たらしい」
「それを見つけるぐらいの、安納マニアなんだ……」
勇太郎は、身近なところで次々と現れる“安納郷市”のファンたちに、この祖父の力を思い知る。
「近いうちに、その助平な息子を連れてご挨拶に伺いますと、書いてあった」
郷吉は嬉しそうだ。
それにしても、官能小説を読む未成年の息子を容認しているあたり、この轟弓子の器量もただならぬものがある。おそらく、自身がそのファンだからということもあるのだろうが。