『Twins&Lovers』-50
『祖父が……』
いつも、ご迷惑を。その言葉を飲み込んだ。きっと、この言葉は看護師さんの笑顔を奪うに違いない、と考えたからだ。
「じゃ、ごゆっくり」
看護師は、固い表情のまま勇太郎に会釈をすると、そのまま廊下を行ってしまった。なにやらその足音が甲高く響くのは、彼女の怒れる心根を表しているからだろうか。
勇太郎は、ため息をつきながら病室のドアをノックした。
「おう!」
返ってきたのは、入院患者のそれとは思えない、豪快な声であった。
「エロじぃ」
入ってくるなり、勇太郎は毒を吐く。が、そんな孫の言葉を一向に解さない様子の住人。
ベッドに入っているが、上体は起こしており、背筋もピンと伸びていて、非常に健康そうに見える。真っ白だが量のある髪と立派な顎鬚が、この老人に更なる貫禄を与えていた。
勇太郎の祖父である、安堂郷吉。そして、官能小説家“安納郷市”その人である。
「また、斉木さんにちょっかいだしたんだろ。やめなよ、そんな子供じみたバカはさ」
「たわけ、このチェリーめ! 患者と看護婦のスキンシップは、絶大な効果のある介護行為だ! わしは、これで、寿命が相当に延びたぞ!!」
そういって、両の手のひらをわさわさとする郷吉。きっと、その手で、胸か尻を触ったに違いない。両手とは、また、祖父らしい豪快さだ。
ちなみに、世間では看護婦という言葉は使わない。“看護師”というんだ、と祖父に行ったこともあるのだが、そう言うと彼は、
『看護婦のほうが、エロティシズムに溢れておるではないか。それに、柔らかい響きがあるから、病に疲れたワシの様な患者の心に、和みを生んでくれると思わんか!?』
といって力説するのだ。病に疲れたかどうか、見るもの全てに疑問を感じさせるほど郷吉は元気だが、彼の言っていることは少し理解できる勇太郎でもあった。
「相変わらず、久美ちゃんのばでぇは質感があるのう……気立ても良いし、ホントにええ子じゃ……世の男どもは、あんなええ子にも気づかんのか!!」
そう言って、ひとり憤慨する郷吉。勇太郎はもう、祖父のペースにはまっている自分を知る。
ちなみに斉木久美とは、郷吉を主に担当している看護師だ。さきほど、固い表情のまま病室を立ち去ったあの看護師のことだ。見た目に若いが、もう三十路を過ぎてだいぶ経つ。まだ、いい相手はいないらしい。
「まったく……」
勇太郎は、ベッドの近くにある椅子に腰掛ける。よくあるような丸椅子ではなく、四本の脚がしっかりした、背もたれ・クッションありの、すわり心地のいい椅子だ。
「どうじゃ、勇太郎。もう、夏休みも終わる頃じゃが、チェリーは卒業したか!」
「………」
「そうか、まだか! まあ、あせるでないぞ!」
もはや、慣例と化したやりとり。勇太郎は、郷吉の喋るままに任せている。
まともに相手をすると気疲れするということもあるが、郷吉があまりに楽しそうに喋るので、それを見ていたい気がするのだ。
「ワシもな、あの当時にしては、童貞卒業は遅いほうじゃった! あれはのう……」
そう言って、過去の秘め事を、あれやこれやと語るのさえなければ、なおよいのだが。
勇太郎はそれでも、これで何度目かになる、祖父の語る童貞喪失の一事に耳を傾けた。
忘れてはいけない。勇太郎も、<安納郷市>の愛読者なのだ。