〜 反省文 〜-2
上級生は食べる速度が一定しているのだろうか、7時45分、ほとんど同時にスプーンを置く。
B1番先輩の仕切りから、揃って御馳走様をしたところで、寮長がパンパンと手を叩く。
「全員注目。 学園に登校する前に確認しておくことがあります」
ドキッとして前をむくと、茶色がかったロングヘアをなびかせ、寮長が嘘くさい笑顔でこっちを見ていた。
「30番を除く新入生のみなさん。 みなさんは自分のお名前を分かっていますね? 学園から頂いた1番から35番が、新しいお名前に決まっています。 ところが、例年不届きな方がいらっしゃって、いまだに自分のお名前は番号でないと仰ったり、二度と使わないはずの昔の呼び名を 覚えている寮生がいるんです」
……?
確かに入園時に、昔の呼び名は『源氏名』として忘れるよう言われた気がするが、それがどうかしたのだろうか。
「いらっしゃらないと信じたいのですけれど、毎年たくさんの方がご自分の名前に拘っていまして、そういう方にはキチンと反省して頂かなくてはなりません。 正直にお願いしますね。 昨日、自分の昔のお名前を誰かに教えた人は、その場におたちなさい」
そんなの、言うわけがない。 先輩に訊かれたなら話は別だが、喋らないよう言われたことを、自分から喋るなんてするわけが――あれ? 隣で席をたつ気配。 みんな青ざめていて、ジッとしている人が誰もいない。
「「……」」
ゾロゾロと、前で、後ろで、斜めで席をたつクラスメイトたち。 というか、私以外全員その場に立っているような……?
「はあ〜〜……まったく、今年もですか」
ポカンとなる私を他所に、寮長が大きくため息をついた。
「いくら寮が居心地がいいからといって、学園の規則を破ってもらっては困ります。 恵子だとか絵里だとか、分不相応でくっさいお名前は捨てたんでしょう? 自分が栄えある学園の一人であるという自覚が、根本的に足らない証拠です」
間違いない。 私以外、クラスの全員が俯いて立っている。 ということは、自分の名前を誰かに言ったということだ。 誰に? そんなの、同じ部屋の先輩以外にありえない。
寮長がいうように、みんなついつい寛いで自分の名前を打ち明けたのだろうか? そんなわけがない。 だいたい新しい先輩と初めて接して寛げやしないし、そもそも寮自体が知らないことだらけ、辛いことだらけで居心地なんて最悪だ。 となると、無理矢理に源氏名を言わされたのだろうか? いや、それも違う。
前を見る。 無表情で机をみているB29先輩。
だって、私は一度も先輩から源氏名を訊かれなかった。 これは間違いない。
「事前にお名前を口にしないよう、念を押すべきでしたね……しょうがありません。 今回のことは、特別に寮監様に善処していただくよう、わたくしからお願いしておきます。 ただし、二度とこのようなことがないように『反省文』は書いてもらいますよ。 そうですねえ、夕食の後にでも場を設けますから、そのおつもりで――あら?」
寮長が口を噤んだ。 どうかしたのか、と前を見ると、私と目が合う。
「貴方……座ったままということは……まあ! 貴方だけ、ちゃんと規則通り、自分の源氏名を控えていらしったの。 すばらしいわ」
瞳をパチクリさせ、顔全体がニッコリして、花がさいたよう。 ただ、私はブルっと身構えてしまう。 笑顔は人の気持ちをほぐすものだ。 それなのに、背筋に何だか寒いモノが走る。
「先輩に訊かれたりしませんでしたか?」
「えっ……わ、私ですか?」
「29番さん、貴方です。 お答えになって。 B29番さんに訊かれませんでした?」
「え……」
チラリとB29番先輩を見る。 先輩はさっきと変わらず、顔色を変えない。 目線を合わせてもくれないが、これはどういうことなんだろう。 訳がわからず、私は正直に答えるしかできなかった。
「あの……あ、はい。 訊かれませんでした」
「そう……。 ふぅん。 あんなにハッキリ指示してあげたのに、副寮長になっても相変わらずねえ。 いっつも陰でコソコソして、かっこいいとでも思ってるのかしらね。 どうせ貴方のことだから、バレないと思ってやったんじゃなくて、バレてもいいと思ってるんでしょう。 そいうのが――」
「う……あれ……?」
意味が分からず右往左往する私を、もう寮長は見ていなかった。 代わりに正面で素知らぬ顔の、副寮長を凝視していた。
「――そういうのが一番ムカつきますわ」
寮長から笑顔がきえていた。 食堂がシーンと鎮まりかえる。
「新入生から名前を聞きだすのは先輩の最初の仕事だって、分かった上でサボったのなら、それは立派な怠慢です。 というより、わたくしの指示に従えなかっただけで、反省する理由は十分です。 ちょうどいいわ。 貴方なら5分もあれば『反省文』くらい書けるでしょう。 今、この場でお書きになって」
「……はい。 わかりました」
B29先輩が立ち上がった。