おはよう!-2
「・・力入れ過ぎ。もう少し緩めて。」
「緩めるってどこをだよ」
「唇と肩。」
前回と変わらず、マウスピースの練習に励む奏多。そんな奏多を変わらず渋々、なおかつ適切に指導していく和音。練習室の一角で『二人だけの世界』だった。もちろん、甘い意味での『二人だけの世界』ではなく、二人の間に近寄れる空気がないから誰も近寄れない、そんな理由から生まれる『二人だけの世界』だ。
その原因を担っているのが、和音の不機嫌さ。この部分に関しては本人も自覚をしてはいるものの、どうして自分がここまで不機嫌になっているかわからなかった。わからない故に、ますます苛立っているのかもしれない。
「・・・」
和音の苛立ちの原因が自分にあると解釈している奏多は特別、何も言わず、ただ自分の練習に励んでいる。和音に対して何も言わないにしても思うところはあるようで、いかんせん練習がはかどらず、うまく音を出せずにいる。
そんな奏多を、和音は少し距離をとって隣に座って見ていた。
「(・・この前は綺麗な音出したくせに。・・・まぐれ?)」
前回、和音とともに音を出したときにはとても澄んだ音が出たのだが、今回はそう簡単にはいかないようだ。
もちろん、音の出はプロでも幾万通りの出し方があり、その時の気分によって左右されることが多々ある。ましてや奏多は初心者。仕方がないだろう。
「(仕方ない、確かにそう思うは思うけど・・。)」
和音の中で、言いようのないモヤモヤとした感情が自分の中に根付いていた。
そのモヤモヤとした感情の意味が分からず、またなぜそんな感情を自分が持っているのかが分からないことが、苛立っている大きな原因だった。
「和音ちゃん」
複雑な感情を隠せずに難しい顔をしている和音に、優羽が声をかけた。
和音はもちろんのこと、マウスピースに息を吹き込んでいた奏多までもが二人のすぐそばまで来ていた優羽に視線を送る。
あまり良い表情をしていない二人とは対照的に、優羽は笑顔を浮かべていた。
「そろそろ全体の休憩に入ろうと思うんだけど、どう?区切りはちょうど良い?」
その言葉に、二人は合わせて壁時計を見上げた。
気づかなかったが、小休憩もとらずに練習した結果、だいぶ時間が経っていたようだ。
区切りが良いほど練習が進んでいる訳がないこの状況で休憩を遅らせるか悩んだが、この現状のまま奏多の練習が進むとも思わないと考えた和音は軽く頷いた。
少しの間考え込んだ和音を見ていた優羽は察したようで、奏多に視線を送る。
休憩を取る意思を見せた和音に驚いたようだったが、特に異論もないので奏多も頷く。
そこで優羽が奏多を促して、練習場の外から和音たちの様子を窺っていた隊員の元へ行かせる。仲の良いスネア隊員の男の子たちと話す奏多を見送って、和音は溜息をついた。
「イライラしてる?」
「・・・別に」
優羽の問いかけに、和音はそっけなく答える。
自覚していることを聞かれることほど、苛つくものはないだろう。
そのことが顔に表れているようで、優羽は苦笑いをした。
「確かにまったくの初心者である奏多くんを教えるのは大変かもしれないけど、奏多くん楽しそうにやってるみたいだから」
「・・別に大変じゃないですけど」
「そう?ならいいけど。」
「・・・」
はっきりと教えることに異論はないことを告げた和音に、優羽は笑顔を浮かべた。
ただ、それっきり和音が黙り込んでしまった。
そんな和音に何を言うわけでもなく、優羽は他の隊員たちと同じように休憩を取るために練習場を出た。
優羽が出て行ったことを確認し、和音は深く椅子に座り、背もたれに寄り掛かった。
「・・楽しそう、ね・・・」
和音は、先ほどの優羽のセリフを言ってみる。
「・・・楽しいとか、意味が分からない・・」
ふっと、あざけ笑いが出てくる。
和音の視線の先には、奏多が使う予定になる金色の楽器。自分が音を出す時を今か今かと待ちわびるホルン。
「そういえば・・いたな、楽しいから吹くって人・・」
和音が思い出すのは、同じく金色の楽器を奏でる女性。
優羽と同じ年齢で、才能は皆無なはずだったのに、気が付いたら誰の手にも届かないほどの音を手に入れた女性。もちろん、和音でさえ彼女の足元に及ばないと自覚できる。
それほど、彼女の音色は素晴らしいと言えた。
とくに、あの演奏は・・。
「・・・っ・・」
和音が目に焼き付いて離れない映像を必死に忘れようと、頭を抱える。
ちょうどそのとき。
「和音?休憩しねぇの?」
「・・っ!」
入口の扉を、外から覗くようにして顔を出したのは奏多だった。
お菓子を食べながら、和音の様子を窺っているようだ。
突然、声をかけられたことに驚き、和音は一瞬頭が真っ白になる。
だがなんとか、自分に問いかけられていることが分かった和音は慌てて返事をする。
「い、今行く!」
驚いた余韻が響いているのか、少し声が上擦っている。
この間のように奏多が気にするかと思ったが、予想外にも奏多は「おー」と言葉を返しただけでそのまま入口の扉前から姿を見せなくなった。