投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

【箱庭の住人達〜荊の苑〜】
【学園物 官能小説】

【箱庭の住人達〜荊の苑〜】の最初へ 【箱庭の住人達〜荊の苑〜】 2 【箱庭の住人達〜荊の苑〜】 4 【箱庭の住人達〜荊の苑〜】の最後へ

第一話-2


 その日、孝顕は日直で次の授業で使う第二講義室の鍵を取りに職員室に行くと、世間話のような軽い調子で訊ねられた。
「ねえ君……夜刀神君だっけ。クラスのみんなとは、仲良くなれた?」
「はい。まあ、それなりにやっています」
 差し出された鍵を受け取りながら、孝顕が当たり障りのない答えを返すと、なぜか佐伯は苦笑した。
「それなりに、か……。もしかしたら、クラスのみんなに遠慮とかしてるのかなーって思ったんだけど……?」
「遠慮……ですか」
「うん。なんだかね、夜刀神君っていつも、皆から一歩も二歩も離れた所にいるように見えるから」
「そんなつもりはありませんが……」
 孝顕は曖昧な言葉で否定する。

 ──実際は指摘の通りだった。

 少年はこの学院に、小学五年の途中で転校してきた。
 学校法人私立北辰学院。幼稚舎から大学部まで、合計二十二年間の長期にわたる一貫教育を行っている。
 初等部(小学校)から中等部はエスカレーター式で、生徒達はほぼみな顔見知り。すでにクラス間でさえ気安い連帯感が出来上がっていて、仲間意識も強い。
 共通の学校体験を持たず、慣れない土地で精神的に不安定だった事も手伝い、転校当初から長期に渡り孤立した時期がある。表面的なつき合いができるまでにはなったが、周囲の雰囲気に完全に溶け込むことはない。
 少年は余所者のままなのだ。

 佐伯は自分の前に立つ生徒の様子を窺うと口を開いた。
「じゃあ、先生の気のせいだったのかな。ごめんね、時間とらせて」
「いえ、それでは失礼します」
 丁寧に挨拶を返し、職員室を出ようと身体の向きを変えた時、背後から声がかけられる。
「あんまり無理したら駄目だよ。夜刀神君」
 労わりを含んだ柔らかな声音。
 孝顕は一瞬足が止まりかけたが、どうにか動かし続ける。職員室を出ると無意識に制服の胸元を掴んでいた。身体が震えているのかと錯覚するほどの動悸。次の授業は佐伯の担当教科だ──。

 それからというもの、佐伯は時折、少年に声をかけるようになった。単純な挨拶であったり冗談交じりの言葉であっても、一つ一つには少年の心を慮(おもんぱか)る暖かさがあった。
 さりげない言葉が孤立しそうな自分を救い上げてくれる。
 彼女の声かけのお陰もあって、少年は馴染めないなりにもう少しだけクラスメイトに溶け込もうと努力し始めていた。

 孝顕は当時を思い出して再び吐息を漏らす。つい最近の出来事はまだ記憶に新しい。
 佐伯は不用意に少年に近づこうとはしなかった。つかず離れず、一定の距離を保って時折道を示してくれる。大丈夫だよ、いつでも見守っているよと、そう言われているような気がして、不安定だった心に小さな灯りが点った。

 先生の言葉を思い出すと心が温かくなる。
 先生の傍は陽だまりのような安らかさがある。

 胸の内に湧きあがるそれは、少年にとって初めての体験だった。そわそわと落ち着かず、かといって不安な訳ではない。どうかすると走り出してしまいたくなるような、けれど不思議と心地よい感覚。
 愛ではない、恋ですらない。純粋で根源的な何か。名も知らぬ感情に振り回される今の自分が、なぜか嫌いではなかった。
 視線の先にある姿に眩しげに目を細める。
 孝顕はふわりと微笑むと、ゆっくりとその場を歩き去った。

  ◆  ◆  ◆


【箱庭の住人達〜荊の苑〜】の最初へ 【箱庭の住人達〜荊の苑〜】 2 【箱庭の住人達〜荊の苑〜】 4 【箱庭の住人達〜荊の苑〜】の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前