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忘れ得ぬ夢〜浅葱色の恋物語〜
【女性向け 官能小説】

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半世紀の時を経て-10

 シヅ子が部屋に入った時、アルバートは赤い水玉のパジャマ姿で、窓際のロッキングチェアに揺られながら眼鏡を鼻までずり下げてうたた寝をしていた。膝には茶色の革カバーの掛けられた本が伏せられている。
 シヅ子はそっとその本を手に取った。
 椅子の横の丸い小さなオーク材のテーブルに、一本の赤ワインのボトルが立っている。その横には小ぶりのワイングラスが二客。
「朝言うてたワインがこれなんやな」シヅ子は独り言を口にして微笑みを浮かべた。

 テーブルに置かれていた金色のしおりをその本に挟んで閉じた時、アルバートがしょぼしょぼと目を覚まして眼鏡を外した。
 そばに立っているシヅ子を見上げたアルバートはにっこり笑って言った。
「ハニー、いっしょにガトーショコラ、食べマショウ」
「いや一人で食べんとちゃんと待っててくれてたん? アル」
「ハイ」
 アルバートは照れくさそうに頭を掻いた。

 シヅ子はベッドの脇のキャビネットから白いティーポットとダージリンの茶葉を取り出した。アルバートも椅子から立ち、彼女の横に寄り添うように立って二客のティーカップを手に取りテーブルに置いた。そして小さな冷蔵庫から二切れのチョコレート色の菓子の載せられた一枚の白い皿を取り出し、テーブルのカップの横に並べて置いた。
 シヅ子はお湯を入れたティーポットを運んできた。
「ごめんな、遅うなってしもて。話が長うなってな。ずっと待ってたん?」
「大丈夫。おかげでゆっくり本を読んでいられマシタ」
「ほんまはイライラして待っとったんやろ?」
「シヅ子を待つのは全然苦になりマセンよ」
「ほんまに?」
「遅くなっても必ずワタシのところに戻って来ますカラね」アルバートはぱちんとチャーミングなウィンクをした。

 シヅ子の鼻の奥につんとした小さな痛みが走った。

「それにしては待ちくたびれて鼻ちょうちん膨らかして眠ってたやん」
「本の中に眠りの呪文が書いてあったのデース」アルバートはシヅ子に椅子を勧めた。
 シヅ子は笑いながらそれに座った。

「アルは今でもなかなかわたしを責めてくれへんな」
 アルバートも椅子に腰を下ろした。
「責めて欲しいんデスカ?」
「わたしが粗相してもうたら、ちゃんと責めて欲しいわ」
「『ソソウ』? なんデスカ、それ……」
「失敗や軽率な過ちのこっちゃ」
「よくわかりまセーン」
 アルバートは困ったように眉尻を下げて笑った。

 シヅ子はポットから二つのカップに紅茶を注ぎ入れた。爽やかな香りが広がった。アルバートは目を閉じて鼻を鳴らした。
「ガトーショコラにはやっぱりこのお茶デスね」
「昔から好きやったな、アル」
「それは、ワタシがシヅ子はんと初めてデートした時に飲んだお茶だからデス」
「そうなん?」シヅ子は意外そうな顔をした。
「ワタシ、嘘は言いまセン」
「そうやったか? わたし覚えてへんわ」
 アルバートはひどく悲しい顔をして残念そうに言った。「それはヒドイ」
「あのな、」シヅ子は反抗的な目で夫を睨んだ。「あん時はアルにぽーっとなってて、何飲んだかなんて覚えてへんのや」
 そしてほんのりと頬を赤くした。

 アルバートは一転にこにこ笑いながら言った。
「相変わらずチャーミングデスネ。シヅ子の赤い顔」

 シヅ子は瞳を潤ませ、横に座ったその『恋人』の青い目を見つめた。
 そして小さな声で言った。

「アル、わたしにキスして」

 何も言わずににっこり笑ったアルバートは、椅子から腰を浮かせ、隣に座っていたシヅ子の頬を両手で柔らかく包み込んで静かに唇を彼女のそれに宛がった。
 薄目を開けたシヅ子は、一瞬そのアルバートの顔が在りし日の、結婚前につき合っていた頃の若々しい姿に見えた。

 はあ、と遠慮なく熱い吐息を吐いたシヅ子は、座り直した夫に赤い顔をしたまま目を向けた。
「相変わらず素敵や、アルのキス。チョコの匂いもするし」
「それは、このお菓子のせいデース」アルバートは笑いながらガトーショコラの最後のかけらをフォークで刺した。
「ハイ、あーん」
 アルバートが言うと、シヅ子は照れながら口を開いて目を閉じた。
 シヅ子はそれをゆっくりと味わいながら、紅茶のカップを手に取った。
「アルのキス、初めてされた時から全然変わってへんわ」
「ウソ」アルバートは肩をすくめた。「ワタシの唇、もうしなびてしまってマス」
「わたしのんもそうや。お互いそうやから変われへんのやないか」
「オオ、なるホド。ウマいこと言いマスネ、ハニー」


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