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忘れ得ぬ夢〜浅葱色の恋物語〜
【女性向け 官能小説】

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半世紀の時を経て-9

「おかあちゃんは、今の神村さんに会いたい、思えへんか?」
「そうやな……」シヅ子は穏やかな顔で少し考えた。
「どうせ、もう元鞘に戻ったりすることあれへんのやから、超久しぶりに会うて語り合うたりしとうないか?」
「……」
「脚が弱ってる、言うてはったけど、その気になれば今は駅もタクシーもバリアフリーやし、息子さんに連れられてでもおかあちゃん訪ねてここまで来れんことないやろ? 神村さんかてほんまはおかあちゃんに再会したい、思てるんちゃうかな」
「いや、」シヅ子が微笑みながら言った。「やっぱ会わん方がええ」
「なんで? 親父がいてて気まずいんか?」
「いや、そういうことやのうて、わたしが今あの人に会うてしもたら、あの時間は夢でなくなるやんか。お互いの今の老いた姿見てしもたら、壊れてしまうがな。せっかくの夢が」
 ケネスは顎に手を当てて言った。「そうか、そう言えばそうやな」
「あの人もきっとそう思てる」
「そうかもしれへんな。確かに文字だけやったら、今の気持ち伝えても夢は壊れたりせえへんからな」
 シヅ子は独り言のように言った。「あの人の悩んだ末の最善の方法やったんやないんか? この手紙」

「そやけどしっかりした文章やで。米寿の年寄りが言うたとは思えへん。さすがに本の虫だけあって、きちんとした日本語の紳士的な香りが文章からも漂うてくるわ。」
「ほんとだね」マユミも言った。
「神村さんが今も浅倉シヅ子のことはっきり覚えとって、真剣に今の思いを伝えよ思てる証拠やで」
 シヅ子は申し訳なさそうに肩をすくめた。「そうみたいやな……」
「ええやんか、それで。今は神村さんとおかあちゃんの夢の中にお互いが生きとるっちゅうことやろ? 現実の生活ではおかあちゃん、親父とずっとべたべた愛し合うとるわけやし」
「また恥ずかしいこと言いよるわ、この子は」シヅ子は小さく言って、照れくさそうに笑った。

「ケニー、」マユミがケネスの耳に囁いた。「いつまで手、握ってるの」
 ケネスは少し頬を赤らめてマユミに囁き返した。「さっきからうずうずしとる。もうあかん、マーユ、今夜……ええか?」
「もう、ケニーったら……」マユミは困ったような顔で同じように頬を赤くして小さく頷いた。
 ケネスは満足そうに微笑んでマユミから手を離し、テーブルのアルバムを引き寄せた。そして両肘をついて、それを見下ろした。
「なんか、」
 隣のマユミが小首をかしげてケネスを見た。「どうしたの?」
 集合写真の右端、シヅ子と神村が斜めに位置しているところを軽く指さして、マユミを見ながらケネスは言った。「始めはこのオトコ、なんちゅうことしてくれたんや、いてもうたろか、思て憎んどったけど、」
 ケネスは写真に目を戻した。「今見てみたら、なんやええ人に見えるわ」
「いい人じゃない」マユミが言った。
 ケネスはそのまま小さく頷いた。

「人生の途中で、油断して転んだだけ。怪我もしたけど、ちゃんと起き上がって、足や手に着いた泥も払って、また歩き始めたじゃない」
「マーユ、ええこと言うな……」
 マユミは照れたように小さな声で言った。「今になってようやくかさぶたが取れた、ってことなのかな」
 シヅ子が穏やかなため息をついて言った。「わたしも一緒に転んだんやな。あの人と一緒に。偶然手、繋いどったから……」
「そやな。ほんで一緒に立ち上がって、手え離して、それぞれ別の方向に歩き始めた、っちゅうことや」
「お義母さんの歩いていった先にはアルお義父さまがいらっしゃって、しっかり抱き留めて下さったんですね」
「いや、歩いてへん。走ったで、わたし。全速力で」シヅ子は言って笑った。「アルを突き飛ばす勢いで走ったで」
「親父も大変やな。こないなめんどくさい女に体当たりされて」
「やかましわ! そのお陰であんたがここにおるねんで! ちょっとは感謝したらどやねん」
「はい。そうでした。すんまへん」ケネスはぺこぺこと頭を下げた。
 三人は大笑いした。


 目の前のコーヒーを飲み干したシヅ子は、ゆっくりと腰を上げ、座卓を立つと、暖炉に身体を向けしゃがみ込んだ。
「神村さんとの行為は紙切れやけど、アルとの時間は薪みたいなもんなんや。不倫はすぐに火がついてあっという間に激しく燃え上がっても、あっけなく火が消えたら冷たい灰が残るだけや。そやけど薪はずっと熱く燃えて、火が消えても熾きとしていつまでも温かく残る。そんなもんや」
 そう独り言のように呟いたシヅ子は、持っていた手紙を封筒ごと明るく燃え立つ暖炉の中に入れた。

 それは眩しい炎を上げて燃え上がり、やがて白い灰になって数回小さく舞い上がった後、積まれた薪の隙間から下の熾きの中にさらさらと落ちていった。
 シヅ子は振り向き、ケネスとマユミを見た。「そやけど、放っておいたら、薪でもやっぱり消えて冷たくなってまう。時々補充せなあかん」
 そう言って、傍らに積まれた薪を一本手に取り、暖炉に入れた。ぱちぱちと音がして火の粉が舞い、それは燃え立つ炎にすぐに包まれ、自らも炎を上げ始めた。



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