笛の音 3.-25
「ごめんね、おねえちゃん……」
「ううん。私もイライラしてごめん。叔母さんにはうまく言っとく」
一度愛美を振り返ったが、直樹の顔は見なかった。前を向き、飛び出して直樹の胸ぐらを掴んで引っぱたきたい衝動を、腕を組み爪を立てて耐えていた。
「えっと……、こっから住吉ってどう行くんだろ」
ナビをセットしている明彦をチラリと見て、
「……新小岩じゃなくていいんですか?」
と言った。声は爛れて震えていた。
「いや、車停めるとこないし」
こっちも二人きりになりたかったから、あんな大人ぶったことを言って二人を追っ払ったのだろう。明彦からは見えぬ方の爪を、痛みを感じるほど更に突き立てた。ベンツが発進する。有紗はバッグから携帯を取り出した。
「愛美ちゃんにフォローメッセ?」
「……そうですね。しょんぼりさせちゃったし」
明彦の方は見ずに直樹にメッセージを送った。
『私もこれから彼氏の家に行く』
既読にすらならない。目を閉じた。眠っているフリをした。もう直樹の部屋についただろうか。姉に叱られてヘコんでいる愛美を抱きしめて頭を撫でてやっているのだろうか。こんなことなら、小さな港の前でもっと彼に触れておけばよかった。周囲に人はいなかった。もっと――、探せばキス以上のことができる物陰もあったかもしれない。
「もうすこしドライブしていい?」
「いいですよ」
目を閉じたまま言った。明彦は眠っていないことに気づいていたようだ。高速は使っていない。少しでも自分と居たいのだろう。海が見えてきたから道をよく知らないことにかこつけて遠回りしているのかもしれない。それとも、やっぱり新小岩に連れて行ってくれ、と言うのを待っているのか。
「……どこに連れてくんですか?」
「有紗ちゃんの家に向かってるよ、ちゃんと。ゲートブリッジ、通ったことないから走ってみたいだけ。高級車でデートなんてそうそうないからね。……前原部長、APAC出張から帰ってくんでしょ? あんまり連れ回してると怒られる」
よく分かっているではないか――。
「ちょっと、……停めてもらっていいですか?」
「あ、トイレ? んー、コンビニあるかな……」
埋め立て島に入っていた。工場と倉庫ばかりが立ち並ぶ界隈には全く人影がない。
「いえ、あの辺りでいいです」
海底トンネルへ向かう道から逸れる側道を指差した。
「どうしたの?」
ハザードを灯け路肩に寄せ、不思議そうな顔をする。
「……その辺の原っぱでトイレするわけじゃないですから安心してください」
そう言って有紗は周囲を伺いながら明彦の股間に手を伸ばした。乗用車もトラックもスピードを上げてトンネルの中へ吸い込まれていき、工場地帯へ逸れていくこの側道へ入ってくる車は全くない。日が傾いて暖色に染まり始めた空の下、道端のフェンス沿いに生い茂った雑草の葉先が一斉に風に揺れていた。
「な、何すんの……?」
有紗のしなやかな指が触れると脈動が強まって、忽ち明彦の股間がムクムクと中で膨張してきた。即応できるほど手指の快楽が明彦に刷り込まれている。
「……行く時にした続き、だって知ってるくせに」
「いや、そんなの……」
「前開けて出してください。……ゴム、持ってますよね? つけて。……早くしないと私の気が変わります」
明彦の顔が溶け始めている。歯を食いしばって股間にせり上がってくる劣情に耐えつつ、片手でズボンの前を開け、もう一方の手で財布を取り出すとサイドポケットに忍ばせていたコンドームを取り出した。装着している彼のももに爪をなぞらせて、もう一度スマホの画面を見た。既読になっていない。有紗は後部座席にスマホを投げつけると、運転席の方へ乗り上がって明彦を跨いだ。
「あ、有紗、ちゃん、……だ、だれかに見られる……」
「誰もいませんよ。……それに、見られたら困るカッコになってるのは明彦さんだけです」
ネイルに彩られた小指の先で、下から上へと樹脂を纏った男茎の裏側をなぞりあげると、明彦の小鼻が膨らんだ。額を合わせて間近に目を見据えれば、直ちに虚ろな黒目が唇を懇請していた。だが与えるわけにはいかない。こんな思いをさせられても、港で潤った唇を汚したくない。
「うっ……」
もう先端へ透明の汁が溜り始めている。
「ドキドキします?」
「あ、ああ……」
「赤ちゃんになってもいいですよ? ここで。……運転してくれたご褒美ですから」
「あんっ……、あ、……」
「ほら言ってもらえますか? どうして欲しいか」
愚劣な顔と喘ぎ声だ。それを誘い出している自分も愚劣なことをしている。そうでもしなければ、彼からメッセージの返事が返ってくるまで気が紛れない。今ごろ愛美は練習の成果を発揮しているのだろうか。愛美に触れられても不能は治らなかったと言っていたが、今日は分からない。港で抱き合った女の代わりに性欲を満たしたいかもしれないし、その女から彼氏に抱かれに行くとメッセージを受けた雪辱の勃起が起こるかもしれない。
「あぁ……、有紗、ちゃん。に、握って……」
「握るだけ?」
「んんっ……、い、いつもみたいに……、うっ、し、しごいてよ」