寂しさの行方-3
「大丈夫かい?」
神村はそう言って身をかがめ、私の顔を覗き込んだ。
「え? は、はい。大丈夫です」
「ちょっと足下がふらついてるよ」
宴会が終わって、その居酒屋の暖簾を後にした私は、神村と並んでネオンのきらめく狭い路地を歩いていた。他のスタッフたちは、神村主任から渡された二次会費を大はしゃぎして受け取った後、すぐに賑やかな大通りに足を向けたので、店の前で私と彼の二人だけが取り残された格好だった。
グレーのスーツを着た神村は私の横をゆっくりと、私の歩調に合わせて歩いてくれていた。彼は店を出た時からしきりにネクタイに手をかけ、何度も結び目を整えていた。
「僕が飲ませちゃったウィスキーのせい?」
「いえ。そんなことは……。大丈夫です。意識ははっきりしてます」
「そう?」神村は前を向いたまま、安心したように少しだけ笑った。
自分の鼓動が耳のあたりで聞こえ始めた。
「神村さん、これからもう帰られるの?」
神村はちらりと私の横顔を見て答えた。「どうしようかなあ……。終バスにはまだ時間があるけど……。まあ明日は休みだし、もう一軒ぐらい行ってもいいかな。シヅ子ちゃんは?」
『シヅ子ちゃん』――私が神村照彦にそう呼ばれた初めての瞬間だった。
「……」私は恥ずかしげに顔を赤らめ、下を向いたまま歩き続けた。
「みんなとはつき合わないんだね」
「今日は、あんまりわいわい騒ぎたい気分じゃなくて……」
神村は立ち止まった。
「僕と飲み直す?」
彼の手がまたネクタイに触れた。
私も立ち止まり、神村の顔に目を向けた。その男性は優しく微笑みながら私の視線を受け止めていた。
「いいんですか? 神村さん、昼間のお仕事でお疲れじゃありません?」
神村は肩をすくめた。「平気だよ。今日はとっても気分がいい。ウィスキーがとってもうまかった」そしてふふっと笑った。
私は再び歩き始めた。神村も並んで足を進めた。
「あ、」
私は何もない所でよろめいて、思わず神村の右手にしがみついた。神村は驚いたように立ち止まって私の顔を見下ろした。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です。意識は……はっきりしてます」
私は彼の腕から手を離してまた歩き始めた。
あてもなく、ただその路地をまっすぐ歩いていた二人の周囲は、いつしか繁華から外れて薄暗くなっていた。
「神村さん……あの……」
私がそう言った時だった。神村は不意に私の手を取り、身体を向けてきた。
私の心臓はその鼓動を速くしていた。私は息を殺して神村の顔を見つめた。神村もいつになく真剣な顔で私を見つめ返し、両手を私の両肩に置いた。
私は思わず「だめ……」と無声音で言った。しかし、それ以上の言葉をこの口が発することを神村の唇が阻んだ。
気づいた時には、神村は身体を傾け、その唇を私のそれにそっと宛がって小さく擦り合わせていた。その大きな両手を私の肩に優しく置いたまま。
柔らかく温かいその感触に、私の身体の奥に小さな火がともり、それは体中にどんどん燃え広がっていった。
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