笛の音 1.-6
同僚に誘われて行った合コンだった。気が進まなかったが人数合わせでどうしてもと頼み込まれ、幹事の子には以前仕事で助けられたことがあったから、断ることはできずに赴いた。有紗が勤める大手証券のシステム子会社のフリーの女子たちの前に現れたのは、明彦を始めとする親会社の男たちだった。同じグループ企業とはいえ、親会社、しかも本店勤務とあらば有紗たちとは待遇に雲泥の差がある。入社前、入社後ともに経歴華々しいエリートたちだ。よく見ると、昔は勉強ばかりして野暮ったかったんだろうなと思わせるが、合コンの席では肩書がこれをカバーして有り余るから不思議だった。中でも明彦は男性陣の幹事として場を盛り上げるのが抜群に上手かった。花形たるホールセールスの営業マンだから当然で、話題を巧みに繋ぎ、メンバーを持ち上げ、たまに自分をわざとスベらせて笑いを買っていた。もともと合コンのような場は苦手で、付き合いでしか来たことがなかった有紗だったが、この時だけは楽しさに時間があっという間に過ぎていった。
とはいえ二次会に行くつもりはなかった。この後カラオケでも行くか、という提案はあったが、二組ほどいい雰囲気が出来上がっていたので、
「じゃ、ここは解散といきますか。皆さん、オトナとして節度ある行動で!」
と、ともすれば何の時間か分からない時間が浪費され、出た店の前で滞留しがちなところを明彦がパッと空気を変えた。こうなると出来上がったカップルも立ち去りやすい。一組目がグループを離れたのを皮切りに皆が散り始めた。
「前原さんは、家どっちなの?」
帰ろうと幹事の女の子に、今日はありがとう、と言ったら、その子と喋っていた明彦が声をかけてきた。
「新宿線です」
「そうなんだ。新宿線の人ー!」
自ら手を上げて、まだ残っていた数人を見回したが、誰も手を上げなかった。「……と、いうわけなんで、駅まで一緒に行こう」
「え、いえ、大丈夫です」
「そーいわないでよ。同じ線なのに、バラバラに行くっておかしーじゃん」
明彦は笑って、残っていたメンバーに挨拶をすると有紗を導いていった。
「こっからだと、こっち曲がって新宿三丁目のほうが近いね」靖国通りまで出た明彦は左折を指さして、「ラブホ街は右だけどね」
変な男に言われたら不機嫌になるところだったが、飲みの間に明彦のキャラが充分伝わっていたから、
「ということは、こっちですね」
有紗は笑って左へ曲がった。そうそう正解、と言いながら、明彦は全く気にしない様子で隣を歩いてくる。新宿三丁目の駅に着くまでの間にも、明彦は何度も笑わせてくれた。酔いのせいではない。話すと楽しい相手だった。
地下へ下り、改札の前で、
「あのさ、連絡先、教えてくれない?」
と言われた。明彦の顔を見ると、これは冗談ではないらしい。
「……なんでですか?」
「あ、聞くの? 理由なんて」
明彦は朗らかな笑みを浮かべて、「連絡したいから」
「んー……」
「訂正。連絡するだけじゃ済まない。連絡して、また誘いたいから」
暫く黙っていた有紗は、では、とコミュニケーションアプリのIDを教えた。誘われるのを期待したというより、きっと明彦ならプッとふき出すような面白いメッセージを送ってきてくれるだろうと思ったからだ。
「……合コンの幹事は、他のメンバーのためにこういうことは控えるんじゃないんですか?」
「そだね、頑張ってたでしょ? 俺。だから合コン終わるまでガマンしてたんだ」
「どうりで私には男の人、あまり話しかけてくれないと思ってました」
人目を惹きつける有紗だったが、少しハスキーな声質といい、話し方といい、初対面の人にとっては冷たく無愛想に映る。自分でも分かっていた。だからもちろん、明彦がブロックしていたせいで他の男のメンバーから話しかけられなかったんだ、などと本気では考えてはいなかった。
「そーそ。ずっと、誰も前原さんには手出すんじゃねえぞー、って巧みに会話を操ってガードしてたの」
「ほんとですか? 天才ですね」
笑いながらICカードを当てて改札をくぐったが、明彦は立ち止まったままだった。あれ、と思って振り返ると、
「俺、JRなんだ。じゃ、また連絡するから」
と言って、未練なく立ち去っていった。新宿線に乗っている間、有紗は胸に擽ったい感覚が続いていた。
遊んでそうだと警戒しないわけではなかった。だが当日から送られてくるメッセージは、期待通りに有紗を笑わせて和ませてくれるし、有紗が仕事での迷いを漏らすと案外真面目に、なるほどそうかと気付かされるようなアドバイスもしてくるし、――そして合間々々に口説いてくる。明彦に二人で飲みに行こうと誘われて、有紗は日々のメッセージでの会話の流れで思わずOKしてしまった。『これってデートってやつ?』という明彦のメッセージには、『そうなんじゃないんですか?』と返信していた。