〜花蘇芳〜-2
父の別宅は大きくはなかったが、なかなか洒落た感じの洋館だった。
軽井沢の別荘など他にも資産となる建物は数多く所有しているはずだ。
その中から、とりわけ豪奢でもないここを選んだのはわかるような気がする。一人身に広い屋敷は寂しいのだろう。
父はつれあい、つまり私の母を早くに亡くした。
以来、未だに独身を通している。
しかしそれは亡くなった母や残された息子に気兼ねしていたわけではない。現にそれらしい女性はいたのだ。
忙しかったのが本音だろう。父は典型的な仕事人間であった。
母が生きていた頃は、家庭を顧みない父とは何度も衝突した。反発から家を飛び出したこともあった。
あの頃は若かったということだ。仕事をもつ今では父の立場もそれなりに理解できる。
私のこの変化を父は受け止めてくれるのだろうか。
一抹の不安を抱えたままの、しばらくぶりの対面であった。
「よく来たな。ゆっくりしていけるんじゃろ」
一度は家を出、駆け落ち同然で結婚した息子とその家族の訪問を父は快く迎えてくれた。
天気と体調の両方が良いとのことで、わざわざ庭で宴の準備までしていた。
四歳になる長男を抱え上げた父は上機嫌そのものだ。あいかわらずの饒舌ぶりを発揮し会話が弾んだ。
これには数年前まで疎遠であったはずの私の妻もホッとした表情を浮かべていた。
「元気そうじゃないか。安心したよ」
拍子抜けの感もあったがつい口調も軽くなる。
父もまんざらではなさそうだ。
「おまえも仕事ばかりしとらんで、たまには顔を出せ」
「ああ、親父さえ良ければ」
「なにをわしに遠慮する必要があるか」
こうして話していると、ほんの数年前まで確執を抱えていた相手とはにわかには信じ難い。
「隆はどうしとる?あいつもとんと顔を見せんが……」
「忙しそうにしてるよ……あいかわらず」
「フン、どうだか……どうせわしのおらんのをいいことに、コソコソやっとるんじゃろ」
私は父の不平を聞き流した。
「おまえにも権利はあるんじゃ、言いたいことがあったら言うてやるがいい」
「兄さんはよくやってるよ」
横で長男がぐずりだした。
「お義父さん、少し湖のほうに行ってみますわ。あなたいいかしら」
妻の瑞枝が子供の手を引いて席を立った。
「ああ、行っといで」
私たちは気持ちよく二人を送り出した。父に至っては孫にむかって手を振るサービスぶりだ。
今日の妻は白のパンツスタイルだ。開放的な気分なのか、上着も袖なしのもので普段より露出が多い。まわりをよちよちと、息子がまとわりついている。
(あんな服持ってったっけ?。また買ったのか……)
急に父の様子がおかしくなったのはこのころだった。
気もそぞろで話しかけても生返事しか返ってこなくなったのだ。
「どうかしたの?親父」
父はそれには答えず、別のことを聞いてきた。
「瑞枝さんはいくつになったんかな?」
「え、瑞枝?」
私は面食らったが、親父はそのことにさえ気づいていない様子だ。
「今年の六月に三十五になったはずだよ、たしか……」
「…………」
その時はじめて父が名残惜しそうに見ているのは、妻たちが消えた方角だということにに気づいた。
「瑞枝がどうかしたのかい?」
「い、いや……文也はなんぼに……」
「四十一だよ。なんだよ、急に」
父は我に返ったようだ。物言いがやけに弁解がましく聞こえた。
「来年は厄年やな、気いつけんと……少し冷えてきた。そろそろ中に入るかね」
その態度に釈然としないものを感じながら、私は父に肩を貸した。