4. Speak Low-22
本当ですかお父さん、悦子が心の中で遺影に問いかけていると、
「……お父さん、死にたくなかったんだと思う、やっぱり」
と言ったので、悦子は平松の方を向いた。平松もゆっくりと悦子の方を向いた。
「だから、俺はお父さんができなかった分も、家族を幸せにしたい」
「幸せにしろよ?」
悦子は目を閉じて細かく頷いた。瞼が熱くなる。「……私は二人分幸せにしてもらえるんだね」
うん、と頷いた平松は、さてというように正座している両足を叩いて、
「もどろうか。お母さんのところにいくと疲れるけど……。ビックリしたでしょ?」
と言った。
「ん? んー……」
相手が平松だけだと思わず苦笑の笑みが漏れた。
「きっとお父さんも、お母さんを一番心配してるよ」
そう笑う平松とリビングへ戻った。戻るなり、
「悦子さぁんっ」
とキッチンから呼びかけられる。
「あっ、はいっ」
母親は相変わらずのテンションで、
「悦子さんって、チーズケーキお好きなんでしょぉ?」
と問うてきた。お好きといってもコンビニスイーツのものを、カロリー表示の残酷な数値に苦渋の決断を繰り返しながら買っているだけだ。好物と言われると、センマイとかの方が好きなんだけどな。
「あ、はい。好きです……」
とはいえ、そう答えるしかない。
「レアチーズケーキ? それともベイクドぉ?」
オープンキッチンから小首を傾げてキラキラとした瞳で追加質問をしてくる。いやそこまでつっこまれても。
「いえ、ど、どちらも好きです……」
「よかったぁっ! ひかりちゃんっ、手伝ってぇ」
紅茶とともに運ばれてきたのは、2ホールのチーズケーキだった。レアチーズケーキとベイクドチーズケーキ。
「どっちがお好きかわからなかったので、わたくし、両方作っちゃったぁ。こんなこともあろうかと作ってよかったわぁ……」
「お母さん、お菓子作り好きなんだ」
ソファテーブルに並べられた2つのチーズケーキを唖然として見ている悦子の傍で平松が解説をした。これを四人で? カロリーの塊と母親の期待の眼差しが痛い。いただきます、と口に運ぶとどちらも美味しい。翔ちゃん、これで太っちゃったんだ。とにかく失礼にならない程度までは頑張って食べよう、と決意している悦子の傍で相変わらず母親は鼻歌交じりに肩を揺らしながら自分の紅茶を注いでいたが、突然、
「ああっ、いっけなぁい!」
と頓狂な声を上げた。
「どうしたの?」
平松が聞くと、これまたマンガのように頭をコツンと叩いて、
「ジャムがないわ」
と言った。
「ジャム?」
「お紅茶のジャムよぉ」
ロシアンティーのことを言っているのだろう。いや、レモンもミルクもあるし、これで充分……。
「翔ちゃん、ちょっと行って買ってきてぇ?」
は?
「いや、今はいいでしょ?」
平松が悦子をチラリと見てきたから、目で必死にそうそうと訴えた。
「だめよ、ママ、ジャムじゃなきゃお紅茶飲めないの知ってるでしょぉ?」
じゃあ……、悦子はチラリとダイニングテーブルに座るひかりを見た。だがこちらは音符を飛ばしながらチーズケーキを食べている。え、行ってくれないの?
「ね、翔ちゃん、おねがい」
「えっと、じゃぁ……」
ま、待って。わたしは連れて行かないの?
「成城石井に売ってるから」
「そこまで行くの? 遠いよ」
遠いの? だめ、翔ちゃん、私のこと守ってくれるんじゃなかったの!?
「……えっと、じゃあ急いで行ってくるよ」
と平松は立ち上がった。
おい、待てよ。お前さっき私を幸せにするっつったろ。
悦子が眉を顰めて訴えているのを気づいている様子だったが、ウチのお母さんは止められません、と目で返事をされた気がした。口パクで、ごめん、と言うと、無情にもリビングを出て行く。あの野郎、絶対あとでボコボコにしてやる。
玄関から平松が去ると、暫しの沈黙があった。やがて母親は注いでしまった紅茶に口を付ける。えっ、飲むの?、と悦子が驚いていると、
「悦子さん……」
と少しテンションが落ちた声で、しかも悦子の方を見ずに呼びかけてきた。
「あ、え……」
平松がいなくなったことで緊張が一気に悦子を支配していたから声が霞れた。「は、はいっ……」
「あのう……、しょ、翔ちゃんとね? ど、どこのお見合いパーティでお知り合いになったの?」
お見合いパーティ? お見合いパーティ、お見合いパーティ……、そういうことか。平松が馴れ初めを全く話していないということが分かった。チーズケーキなんかどうだっていいんだよ、肝心なこと話しとけ。
「あ、いえ……、えっと、私、翔太さんと同じ会社の者で……」
「あ、あらっ、まぁ……、そうでしたの。……えっ、職場の方!?」
と突然母親はテーブルに手を付いて悦子の方を向いてきた。ティーカップの水面が揺れる。それを聞いてひかりがダイニングチェアを近くに持ってきて、背凭れに両腕を付いて逆向きに座った。