2. Sentimental Journey -1
2.
"Sentimental Journey"
(わたしを彼方にいざなう旅)
悦子が帰ると平松がテレビを観ていた。スーツは脱いでスウェット姿で寛いでいる。時計を見ると21時を回っていた。小規模の案件が重なってしまい、依頼書の回票処理をしていたら〆日前でもないのに遅くなってしまった。
「おかえり」
「ただいま……。まだ食べてない?」
「うん」
「おなか空いた? 食べるよね?」
提げていた深夜スーパーのビニール袋を持ち上げて見せた。
「うん」
まさに悦子の年代をターゲットにした映画だろう、可愛らしい若手俳優演じる歳下の彼氏は三十超えた仕事で忙しい彼女のために甲斐々々しくご飯を作って待ってくれていた。それにひきかえコイツは何もしねえ。料理はできないらしい。実家暮らしだとこんなものなのかもしれない。かく言う悦子も大したモノは作れないのでビニール袋の中身は手軽な焼うどんの材料。もし平松が今日居なかったら弁当で済ませていたと思う。簡単な料理とはいえ、残業して帰ってから作るのは面倒と言えば面倒だ。だが悦子は平松に対し、私のために何か用意してくれてたっていいのに、と怨めしくは思わなかった。平松までの彼氏に手料理など振る舞ったことはないし、彼らも畏れ多いと要求してこなかった。料理が特技でもないので自分から作りたいとも言えなかったが、内心では作ってみたかった。この豚野郎はダラダラとテレビを見ながら待っているだけで何も作ってはくれなかったが、そんな平松のために料理を作るのは楽しいし嬉しい。やっぱり見た目にそぐわず案外尽くすのが好きな女だったのね、と自分で自分を微笑ましく思った。
秋も深まってくると、遅くに一人で帰ってきた時の部屋の冷えっぷりが寂しい。その点誰かが待っててくれると暖かくていい、とスーツのジャケットをハンガーに掛け、ブラウスの袖を腕まくりしながら台所に向かった。そんな繊細な味付けも量の調整もできないが、濃い目のほうがいいかとか、どれだけ食べるかとか訊きながら作る。何だったらアーンして食べさせてやっても良いとまで思っているが、あまり甘やかすと悦子の忌む被虐嗜好男に変容しかねないから慎んでいる。平松は特に嫌いなものがないらしく、悦子が作るものは必ず全て食べた。緩んだ体をしているから食うのが好きなのかと思ったら、がっつくこともなく淡々と食べる。ふとやっぱり腕前が微妙で美味しくないのかと心配していると、ちょうど良いタイミングで「おいしかったよ」と言ってくれる。「ありがとう、また作ってね」とも。それを聞くと悦子は恬淡と「はいどうも」と言うが、胸の内をじわりと和ませているのがバレないように洗い物に向かうのだった。
焼きうどん一品だったから洗い物はすぐ済んだ。手を拭って、ふう、と息を付きながら平松の方へ戻ってくると、
「おつかれさま」
と平松が見上げて言った。
「うん……、つかれたなぁ……、今日。昼間いっぱい歩いた」
「お風呂洗って、お湯張ったけど」
「ホント? 気がきくじゃん。じゃあ、入ろうっかなー」
あまり何もしない男なので、そんなことですら嬉しく思う。計算なのかもしれない。料理の後の一言とか、思ってもみず風呂の準備が万端とか、仕事の時の要領とは違って、恋人の時間に悦子に対して振る舞う時は妙にタイミングがいい。常々隙を窺ってるのだとしたら自分のために一所懸命、何も考えずにしているのだとしたら相性がいいんだなと思った。
「後で二人で入ろう」
風呂に向かうためにクローゼットを開けて着替えを取り出そうとしていた悦子はピタッと動きを止めた。
「……後で?」
「うん、後で」
振り返ると、ラグの上に座ったままの平松が、あぐらを崩して脚を開いていた。「こっちおいで」
まるで愛犬を呼ぶように自分の脚の間にできたスペースを指さしながら呼ばれると、悔しいから悦子はしばらく唇を結んで平松を冷ややかに見ていたが、やがて小股に足を摺って示す場所へやってくると膝を斜めに崩して座った。
「……二人で入りたいからお風呂溜めてくれたの?」
「うん。入りたくない?」
「別に……、かまわないけど」
平松の脚の間に座ったのはいいが、悦子は背を向けたままテレビに目線を向けて話していた。「……後でって?」
「疲れたんでしょ? ……してあげなくていいの?」
あげる、なんて言われるとますます癪だ。
付き合い始めた初日から翻弄され続けている。私は昼間はコイツの上司で、そうでなくたって五つも年上だ。あげるなんて大上段から物を言われる筋合いはない。飲んで我を忘れて平松に抱かれた金曜の夜から、土曜の午後に告白されて夜まで抱かれる中で彼女になり、それからも日曜日の夜まで服を着なかった。丸二日もずっと体を合わせていた。それだけ深く惚れさせたんだな。付き合い始めてからも平松は会う度に悦子を飽くことなく潤沢に愛してくれる。自分の魅力が誇らしい。しかし本来ならば平松の方が悦子を恋人にできることを感謝感激してしかるべきなのに、常に自分がどまどまとしているのはおかしいと思う。