略取4-3
社員の先頭に立ち辣腕を振るった田倉が抜けても粛々とプロジェクトは進行した。一時的に混乱するが何とかなるものだ。あの田倉でさえそうなのだから、よしんば義雄が抜けたとしても何の影響もないだろう。虚しいことだが会社とはそういうものだ。
最近は夜遅くまで仕事をするのはやめている。疲労がたまり一日中体が重い。もう寝ようと思っていたとき家の電話が鳴った。出ると男の塩辛声が聞こえた。
『夜分申し訳ございません。岩井です』
声を聞いたのは二度目だ。
『先だっては失礼しました。今回も奥様のことで電話させていただきました』
「お忙しい中、恐れ入ります」
『いやいや、ご主人も離婚したとはいえ、奥様のことご心配だろうと思いまして電話した次第です』
眠気が吹っ飛ぶ。
『奥様と会いたいだろうと思いましてな』
「え、ええ……ご迷惑をおかけします」
『迷惑だなんてとんでもない。わびしい独り身の年寄りとしては大助かりです。感謝したいのはワシの方』
「とんでもございません」
『まあ、そういうわけで、一度こちらにお越しください。うん、明日はどうかな。お宅の会社も休みだろうし。うん、それがいい。待っておりますので。少々お願いしたいこともあるしのう。所番地をFAXしておきます』
前回と同じように岩井は一方的に話して電話を切った。体の力が抜けた。程なくして地図が送られてきた。
指定されたのは高層マンションの最上階だった。四層吹き抜けのエントランスではドアマンが出迎えた。超豪華なホテルと見まがうほどだ。ホールにはホテルのようなフロントもある。会社でも高級マンションは手がけているが、義雄は作る側の担当であり住む側ではない。そこには大きな隔たりがある。自分の存在のあまりの場違いにうろたえた。
FAXに書いてあったエレベーター番号に乗り込む。あっという間に最上階まで着いた。専用エレベーターから出ると通路には靴で歩くのがもったいないような絨毯が敷かれている。
こんなところに奈津子が……。
突き当たりのドアから長着姿を着た初老の男が出てきた。テレビよく知る顔。圧倒する巨体に後ずさる。
「お越しいただき恐縮です。岩井です」
緊張してあいさつをすると握手を求められた。分厚く大きな手のひら。指の太さにゾッとする。華奢な自分の手が恥ずかしかった。握られた手がジンジンしびれている。岩井のあとに続いて部屋の中に入る。はだけた長着の裾からのぞく巨木のようなふくらはぎに息を呑む。
ここは岩井の自宅ではない。少し調べてみたのだが、自宅は広大な敷地の中にある洋館のような豪邸だ。仕事の関係上、ここで生活しているのかもしれない。借りているのか購入したのか分からないが、とんでもない価格だろう。凡人の頭では計り知れない。
基本的には和風だが洋風のデザインが混ざった神秘的な室内だ。調度品もしかり。義雄の生活とはかけ離れすぎて、まるで現実感がない。多くの部屋があるのだろう、超豪華なリビングにはいくつかドアがある。こんなところに奈津子が住んでいるのだろうか。岩井に大理石のテーブルに促された。
いきなり手前のドアが開き、作務衣のようなユニホームを着た小柄な男が入ってきた。驚く義雄に「単なる料理人ですので気にせんでよろしい」と岩井が言った。侮蔑的な物言いを男は気にする様子もなく黙々と料理を運ぶ。出てきた部屋をチラッとのぞくと奥行きのある厨房設備が見えた。
テーブルの上に高級そうな料理が並んだ。男は岩井から封筒を受け取ると、卑屈なまでに頭を下げて帰っていった。調理人のケータリングかデリバリーサービスを利用したのだろうか。それにしても分厚い封筒だった。あれは全部お金なのだろうか。奈津子はいったいどんな仕事をしているのだろう。
「頃合いを見計らって作らせました。温かい方がいいでしょう」
「恐縮です」
向かい側に座る岩井は葉巻に火をつけた。
「保全地区の件では大変お世話になりました」
奈津子のことを聞きたかったが、岩井から話すまで失礼だと思った。
「たいしたことはしておりません。お宅らの考えに同調したまで。沼田さんの功績ですな」
当初は、はなも引っ掛けられなかったと聞いている。それを沼田が覆したのだ。偉業といってもよい。