アルバイト-1
二年勤めた派遣関係の仕事を辞めた森田は、定職に就く気になれず、居酒屋のアルバイトをして暮らしていた。特に面白みのある仕事でもなく、夜の仕事は昼に時間が取れるだろうと高を括って就いただけだった。実際には、解放されるのが深夜になるだけで、却って昼間が落ち着かない。仕事は何をやっても変わらないのかとも森田は思った。森田がしかし一つ発見したのは、客商売の楽しみである。客に仕えることは案外うれしいものだと思われた。カウンターの客の話を興味あり気に聞き、注文にありがとうございますを繰り返すうち、謙虚で有用な人間になっている自分を感じる。しかも相手は言動が、酔って支離滅裂なこともしょっちゅうだ。的確に調理を手伝い、店に確実な利益を上げ、困った態度をとる客を喜ばせる自分は、本当に偉い人物であるかのような感覚さえした。
森田がいる目の前のカウンター席にいつも一人で座る男の客がいた。男は土曜日に決まって現れた。さほど喋りもせず、毎度おなじ注文をして、閉店間際までいるのだった。男は森田のことはもちろん覚えて知っていたし、森田も、この男が何を注文するのか覚えてしまっていた。
男は小学校の教員だということだった。
「僕の受け持ちのクラスに変わった女子がいて、結構困っているんですよ。」
「このごろは保護者もおかしなのが多いそうですね。」
「自分の子供のことになると、全て許されると思っている人、いますよ。」
森田は聞きかじりの知識で話を合わせながら、男の話に興味を持った。教員側からの世間の見え方にも新鮮なところがあった。想像していたのと違って、随分苦労があるものだと知った。森田はこの教員の誠実な人柄を感じた。しかし、この人はうちに帰ってもセンセイなのだろうかと考えてみた。確かに、子供からすれば、所によって全く別人格になる大人など、不気味で信頼できないだろう。だが、どこでも変わらぬような仕事人間こそ、一面的で胡散臭いと大人の自分には思われる。他方、この歳で何者でもない自分の不安は拭われることはないだろうと、森田はまとまらぬ感慨を、この男を前にして、よく抱いた。教員の名は坂上といった。